ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

考えないようにしている。

治療第一週目は、考えようとしても頭が回らなかった。

いきなり肩も軽くなって、開放された安堵に満たされていた気がする。

 

二週目、いささか頭が回るようになったばかりに苦しんでいる。

過去の清算、未来への不安、自責。

ふと気づくと、ネガティブな考えに頭を締め付けている。

いまはその段階ではない。いまの中途半端な頭で考えても無意味だ。

 

部屋の何か所かに標語を貼った。「考えない」。

それくらい、無意識に考えに耽っている。

寝る前、ベッドに入ってからが一番不味い。

考えに頭が冴えて、眠れなくなっては駄目だ。

 

これまで私は本当の意味での暇・退屈を知らなかった気がする。

「この映画は退屈だ」なんて言い回しがあるけど、それは比喩である。

退屈とは、欲求がなにもわかない状態だ。

それに不満を抱いている状態だ。

 

「いま暇~ だれか構って」なんて発言をする人間を、不思議に思っていた。

私にはいつでもやりたいことがあった。無限といえるほどに。

次から次へと欲求・意欲がわいて、頭の中がフル回転していた。

私生活や約束事をおろそかにするほどに。

 

「○日、暇?」と聞かれれば、私は「ひま」と答えた。

それは優先すべき予定がないという意味だった。

なにも予定がなければ、私は何かしらの趣味で忙しくしていたことだろう。

 

ありていにいえば、暇だ。

楽しいことがなにもない。強いて言えば、自己観察?

規則正しいとは言えないが、毎日の睡眠は続いている。

それだけが自分に感じられる進歩だ。

 

外出すると、明らかに消耗する。

無理はしない。実は一度鬱転らしきことをしてしまった。

私の場合の鬱転は、眠り続けることなのかもしれない。

 

そして不思議なことに、朝ほど気分がいい。

いままでとは真逆だ。

夜に近づくにつれ、気分が沈んでいくのを自覚する。

 

朝には「起きれた」という些細な達成感があるからかもしれない。

夜は「寝なければならない」という強迫観念が待ち受けている。

それを繰り返して、単調な日々を送っている。

 

やはりテレビは好きじゃない。

CMが入ってイライラするし、構成やその番組の裏でどういった意図が働いているのか、などと想像してしまう。

日本のテレビ番組の大半はエンターテイメントでもメディアでもない。

経済だ。そういうことは考えたくないんだ。

 

朝食後にタバコとコーヒー。

寒いと感じるなら、音楽を聴きながらストレッチをする。

昼寝するペットをひざに置きながら、英語のメディアを視聴する。

そうすると昼過ぎになる。

そこからの過ごし方について、現状の最適解が見いだせないでいる。

 

瞑想について一時期調べていたことを思い出す。

オカルティックな話に聞こえるかもしれないが、中身は単純だ。

「未来も過去もここには存在しない。今だけがある」

「今」に心をとどめようとすること。それが瞑想だ。

いまの私に必要なのは、そういうことなんだろう。