ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

メンヘラとかノンセクとかAセクとか

今日は友人の手伝いで軽いバイトをした。

ちょうどいい感じの疲労感。

 

話の流れで「私、ノンセクかもしんない」と言ったら「そうかもなあ」と軽く肯定してもらえたのが嬉しかった。

 

そもそも、私はいわゆる『メンヘラ』と言われる性質から遠い。

『メンヘラ』という用語の処方については諸説あるようだが、私はこちらの記事を参考にした。

dic.nicovideo.jp

 

つまり、メンタルヘルス(=精神病患者)という意味が、広大なインターネッツ世界で一人歩きして多義的模様を呈しているということらしい。

 

もっと簡単に言うと、『(特に恋愛絡みで)めんどくせーやつ』を総称して『メンヘラ』という、っつー理解。

 

んで、私は恋愛絡みで『めんどくせーやつ』になった経験がないのだ。

だって、恋愛経験皆無だもん。

 

友人は大切だが、極端に依存することはない。

自己表現が苦手なわけでもないし、全体的にサッパリしている。

と、思う。

 

むしろ、よっぽど(暫定的健常者としての)友人たちの方が『メンヘラ』っぽかったりする。

 

私は躁鬱だけど、『メンヘラ』ではない。

なぜなら、恋愛感情に疎いからだ。

 

そういう人種は世の中に一定数存在するらしい。

  • ノンセク→恋愛感情はあるけど、性的な欲求がない。
  • Aセク→恋愛感情がない。

(引用元:パンセクとAセクとノンセクの違いを教えてください、お願いします。 -... - Yahoo!知恵袋

 

 私「へえ…」

 

私自身は、こういう自己の性質をあまり問題に感じていない。

だって、恋愛に興味なくても生活に支障ない。

 

そういう人たちが集まるコミュニティもあるようだが、私には仲間と分かち合うべき苦悩がないのだ。

恋愛話の聞き役にまわる分にはストレスないし。

 

むりやり問題にするとすれば、「ノンセクか? Aセクか?」というラインだが。

 

……小学生のときは、字のきれいなK君が好きだった。

  転校して以来、会っていない。

 

……19歳のときは、ひねくれた浪人生のR君が好きだった。

  彼が大学進学してイキイキした途端、興味を失った。

 

思い出す限りで、この二点。

両者とも、告白とかお付き合いしたいとかそういう気持ちはなかった。

プラトニックとでも申しましょうか()。

 

相手を独占したいとも思わず、肉体的関係も望まず。

 

……これって恋だったよね!?

 

ノンセクっつーのは、この程度の思慕もしないのだろうか。

よくわからん。自分の気持ちが世間一般の『恋』だったのかも自信がない。

 

たとえ、この程度の乏しい経験を『恋愛』と仮定しても、私は「この人とセックスしたい!」と思ったことはないのだ。

 

少なくとも、Aセクではあると思う。

 

ここまで書いて、少し考えた。

そもそも、こういう事象について、あれこれ思考を巡らせるあたりが『メンヘラ』では……?

 

自己内省もほどほどに!

ハッピーでアッパーを目指して生きていきましょう!

健康的イキイキライフのために寝ます!

 

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行き場のない感情がぐるぐる回る!

ジェットコースターでこそないけれど、コーヒーカップ程度には感情の浮き沈みがある。

 

家族が家にいると、元気でも元気でなくても平穏通りの対応を心がけてしまう癖が抜けない。精神を消耗する。慣れない。

伊達に長年、躁鬱無自覚に生きてきてない。

 

行き場のない感情、とは具体的にいうと下記の二点。

  • 「私はどうして生きていくのだろう」

 現状、生きる目的がわからない。行先不安だ。

 むろん、その手段も不明。

 

  • 「もしもあのとき私が躁鬱ではなかったら」

 Ifの話だ。

 受験期や就活期のことを思い出すと、ワーッと恐怖の叫び声をあげたくなる。

 もっとうまくいったはずなのに、人生のチャンスを無駄にした。

 

つまり、私の苦悩というのは、未来と過去の二点にある。

目の前を見ず、ここではないどこかへ思いを馳せてしまう。

 

じゃ、目の前見ようや、って話なんだけど。

目の前ってなに? 壁?

 

「わあ、この壁すごい! 床と垂直!」

 

現状には、目を背けたいものが多すぎる。

過去や未来へ思いを馳せるトリガーとなりうるものを、徹底的に視界から排除している。

 

よって、テレビ番組も見るものは慎重に選ぶし、ネットサーフィンなども必要最小限以外は控えている。

 

やだやだこんなんやだ。こんな風に生きるのやだ。やだやだやだやだ本当にいやだ。やだやだやだやだやだやだ……。

 

やだよう。つかれたよう。もうやめたいよう。

つらい。なにもしてないのにつらい。

 

弟に「暇ならバイトくらいしたら?」と言われた。

母に「最近絵は描いてるの?」と聞かれた。

 

暇なんだから、なにかすればいいと思われている。

つらいつらいつらい。なにかしたいのに、なにもできない。

かなしい。わからない。かなしい。

 

私がかわいそうだ。とってもかわいそうだ。

 

犬を飼って生活習慣を整えてもらう計画

軽い用事のある日は、気が楽。

 

毎日毎日、なにをして時間をやり過ごせばいいのか、まだわからないでいる。

夜に眠るときも、「またつまらない明日が来る」という漠然とした恐れを感じてしまう。

 

そんなこんなでいるから、脳みその負担にならない程度の用事がある日は、少し安心する。

 

時間が、そんなに長く感じない。

気がまぎれる。

 

今朝はペットのウサギを動物病院に連れていった。

これから、整形外科にもいく。

 

犬を飼おうか、と家族と話している。

毎朝、私を散歩に連れ出してくれるような犬がほしい。

先住のウサギとも同居できる、性質が穏やかなやつ。

 

子犬だと、どんな性格に育つか分からない。

だから、落ち着いていた成犬を引き取るのがいいだろう。

 

動物病院の獣医さんに相談したら、知り合いの保護施設などをあたってくれるということだった。

 

獣医さん側としても、一匹でも多くの犬に行き場を見つけてやりたいみたいだ。

うちみたいなのは、大歓迎。

 

犬種も問わない……というか、むしろ雑種がいいなってくらいだし。

雑種は丈夫だから。純血種は、なんとなく繊細なイメージがある。

 

いい子が見つかると嬉しい。

 

責任持って飼えるのか?って話だけど、その点はあまり心配いらない。

私は、人間よりむしろ動物が好きなタイプだ。

 

うちは転勤族だったので、小動物ならまだしも犬猫は望んでも飼えなかった。

私が大人になってからは、賃貸で一人暮らしだったし。

 

父親が単身赴任となり、実家に住んでいる今こそだ。

子供のころの念願が、やっと叶うかもしれない。

 

少し前まで、私はこの実家を出たくてたまらなかった。

どうして帰ってきてしまったんだろう、と後悔し続けていた。

気ままな一人暮らしに戻りたくって、泣いたほどだった。

 

いつか必ず出ていこう、と。

 

でも治療を始めて、自分が『ここにいていい存在』だと気づいてからは、そうは考えなくなった。

もう失踪しなくてもいいのだ。

 

だから、犬を飼っても大丈夫だと思う。

親としても、私を近くに置いておきたいわけだし、犬がいてくれた方がいいと思う。

 

まあ。まだ来てくれる犬がいるかも分かんないんだけどね。

イッヌ(概念)である。

 

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障害者手帳を申請するか否か

私の場合、申請に必要な条件は満たしていると思われる。

それで、少しでも生きやすくなるならいいんじゃないか。

 

精神障害者手帳取得にあたっての一番のハードルは、『本人の抵抗感』らしい。

ぐぐった結果なので、この是非はおいといて。

 

私に抵抗感はない。

だって私すでにマジヤバーイ☆ 普通の人生望めナーイ☆

 

なので、両親に相談してみた。

 マッマ「あなたが望むなら……」

 パッパ「メリット・デメリットを比較しろ」

そういうことで調べた。

結果は「うーん?」という感じだ。

 

我が家は実に一般的な中流家庭なのだが、制度上はいろいろややこしいことになっている。

 

父が海外に赴任しており、住民票を移した関係で、世帯主が母になっているのだ。

そこに扶養家族として、私や兄弟が入っている。

母に一定の収入はない。

 

実は日本の法律だと、この条件で生活保護を受けられる。

海外にいる父から送金があるにも関わらず、だ。

制度ガバガバかよ。

むろん、我が家は生活保護を受けていない。

しかし、税金なんかは元々かなり軽減されている。(パッパがその国で払ってるからね)

 

と、いうことは、だ。

あまり手帳にメリットがないのだ。

 

せめて年金の支払いだけでも止められたら、少しは気が楽になるんじゃないか……?

と、思ったが、それも父は不要だという。

 

ちなみに、私の年金はどうしてか分からないけど父が支払っている。

私はそれを『物好きな人だなあ』と思っている。

 

 私「年金制度は滅ぶと思うし払わんでええで」

 父「けど相互扶助の制度やし怪我とか病気で動けなくなったときにもナンタラカンタラ」

 私「せやな。私の気が動転して飛び降りて死にきれず半身不随になるかもしれへんもんな」

 母「なにそれこわーい」

 

税金関係はそんな感じだし、残るメリットといえば

 ・映画、美術館利用料の割引 →そもそも出かける気力がない!

 ・携帯電話料金の割引 →ろくに携帯使ってない!

 

医療費控除もな……兄弟が病気の関係でもともと受けてるからな……。

 

手帳が必要になるとすれば、就職()するときだろうか。

うわあ、今はまだ考えたくない。

 

むしろ父にとっては、扶養家族に手帳持ちがいることによる各種保険の手続き変更が面倒、ということだった。

ぐう正論。

 

パッパは正論のひとだ。ちなマッマは感情のひと。

 

そんなわけで、いろいろ検討した結果、

『今の私にはまだ、手帳は必要ない』

っつーことがわかった。

無理して自立しようとしなくていいよ……パッパが養ってくれるんだし……。

(障害者なりに)自立しよう、と思うようになったときにはお世話になるかもしれない。

パッパが突然倒れて、金銭的に困窮するとかね……。

そういう場合に、頼るための制度だと思う。

 

と、いうわけで。

まだまだかじるぞ、親のすね。

 

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恋愛とセックスのこと

私はてっきり躁鬱の症状かと思ってたんだけど、そうじゃないっぽい説。

 

他の双極性障害のひとのブログを読んでると、既婚者率高いのに驚く。

独身の若い子でも、彼氏ほしいみたいで。

 

あんまり大きな声では言えないけど……

わたし、恋愛に興味なくて(大声)

過去も現在も。

 

えっ、これって躁鬱のせいじゃないのか?

性的マイノリティーな可能性浮上?

 

なかなか的確な表現が思いつかないので羅列すると、

  • 一人の人間に興味が持てなかった!

  躁ってればひたすら楽しいので、彼氏の必要性を感じなかったともいえる。

  気分もジェットコースターなので、それに他人を付き合わせたくなかったし。

 

  • 「こんなクズを愛する人間などいない」と考えていた!

  鬱になると自己否定の極みに陥るので……。

  好意を寄せてくれる人もいたけど「こんなクズを好きだなんて頭おかしい」と拒絶しました。

  今思うと申し訳ない! ごめんな!

 

  • こんなクズの遺伝子を後世に残したくない!

  出産願望なし! 結婚願望なし!

  親に孫の顔見せるのは他の兄弟に託すわ!

 

こういうことを口に出すと、「そんなのおかしい! 違うよ!」って言われがちなので、あんまり言わないようにしてきました。

 

先日、母親に恋愛に興味が本当にないことを告げたら、

「女の子は? 女の子は、好きじゃないの?」

と、真剣な顔で聞き返されました。

 

レズビアンでもないです。

美人は好きですが、エロいことしたいと思ったことはないです。

私の風体がそれっぽいので、しばしば誤解されますが、違います。

(でも他人に恋愛話振られるのがめんどうなので、レズと勘違いされてそっとしておかれるのはラク)

 

アセクシャルなのかなー。

芸能人のイケメンとかは、ふつうに好きなんだけどね。

それはファン心ってやつで。

 

でも、『結婚』は最後の切り札として、頭の隅には置いておこうと思っている。

私くらいでも、選ばなければ条件のいい結婚ができるだろう。

万が一、一人では生きていけない事態に陥ったときのために、そういう可能性は捨てないでいる。

 

……いや、しかし。

結婚って、そう考えるものじゃないよね。

もっと、夢とか愛をともなって語るものだよね。

それができないんだよなー。

 

んで、セックスの話。

これも、私にとっては『切り札』でしかなかった。

 

スリルを味わうための、交渉用カードとみなしていた(わはは)。

 

穴があれば女だし、そこに突っ込んだらもうそれはセックス!

スポーツみたいなもんや!

避妊だけはちゃんとしような!

 

……と、いうような浅はかな認識だ。

 

恋愛もセックスも、『すごいもの』だとは思うんだけど。

だって、生きてて他人とそれ以上親密になる行為って他にないし。

 

ある意味、私は他人と深く関わりあうことを望んでいない孤独な人間といえる。

 

どうも、思春期を躁鬱で過ごしたせいで、その辺の認知が歪んでしまっている気がするんだよなあ。

前述した私自身のインナーチャイルドが、愛されることを拒否している気もする。

 

愛により人は苦しむとしか思えないんだよ。

 

こういう思考も、病状が良くなれば変わるんだろうか。

でも、四半世紀この価値観で生きてきたわけで、今さらどうにかなる気はしない。

 

ずっと前から、仮説として自分の中にはあった。

しかし、二十歳そこそこで「自分は誰も愛せない」と断定するのは難しかった。

 

もういい加減、いいんじゃないだろうか。

私もいい歳だ。

 

僕はとっても疲れたんだよ、パトラッシュ。

 

 

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無闇に時間を堪え過ごしてる

母に来客があったので、家を出た。
近所の喫茶店で資格の勉強をしている。

いや、勉強していた。
飽きた。そんでブログを書いている。

あまりにも無気力だった時期、軽い気持ちでテキストを買ってもらってしまった。
(買ってもらった、というのがミソである)

今まで、たくさんのことを途中で投げ出してきた。
躁鬱のせいだと思いたい。

治療をして安定した今、この資格勉強は完遂したいものだ。
合否はとりあえず置いといてさ。

……と、いきまくものの、実際はクソほどめんどくさい。

願書を出したくすらなかったが、もう遅い。
出した。

他にやることもないし、ええねんけどさ。
めんどくせえ。

資格の内容としては、「やりたいこと」よりも「得意な分野」だ。

やりたいこととなると、切実な思いがつのりすぎていて、かえって腰が重い。
神経質になりすぎるのだ。

その点得意分野なら、学習もスムーズだし無駄な緊張をしなくてすむ。

意欲に欠けるってだけで。

やりたいことと、やれることが一致していない。
人生のジレンマだ。

実は最近、ごくごく軽いバイトをしている。
知り合いに頼まれて、中学生の家庭教師をしているのだ。

業者を通さず個人でやりとりしてるから、非課税だし中抜きもない。
たまにする分には歩合の悪くないバイトだ。

幸か不幸か、なかなか好評でもある。
中学まで真面目で大人しく従順だった成果だ。

実に皮肉だ。
教育業なんてクソ食らえって思ってんのに。

健全に小遣い稼げてるだけマシか。

過去のバイト職歴はさまざまだけど、結局一番長かったのは夜職だ。

別にやりたいことではなかったけど、スリルはあった。
シフトに融通が利き、突然の体調不良にも寛容。

いろいろ火傷もしたけど、それも社会勉強だったと思いたい。

稼ぎはどうせあぶく銭だと思って、端から使った。
空白の職歴だけが残った。

そういや、物欲ってやつは戻ってこないな。
前はいくらでも欲しいものがあったのに。

こっちも空白だ。

鬱のときに断捨離しまくった話

気分が安定している。

いやあ、昨日はつらかった。

 

安定していると、視野が広くなる。視界が開ける。

自室を見渡すと、ろくに片づけていないのにスッキリしていることに気づく。

 

物が少ないのだ。

 

と、いうのも。

鬱期によけいな物はぜーんぶ捨ててしまったのだ。

 

だって、死のうと思ってたし☆

身辺整理ってやつだ。

 

日常に必要な物と、本当に大切な物を残して、処分してしまった。

特に、場所を取る大きな物を。

 

お気に入りだった巨大カエルの抱き枕も、誕生日にもらったチュッパツリーも、大量にあった書籍(特に、卒論関係)も、漫画も、画材も全部捨てた。

 

躁のときは何をやっても楽しくて、趣味を広げすぎたくらいだった。

それが、鬱期になるとすべて色あせて見える。

 

『不要な物』に囲まれている自分が、愚かに思えてくる。

手放すことに、無頓着になる。

 

躁鬱の自覚がなかったもんで、その『気分』が一過性のものとは気づかずにいた。

「なんて飽きっぽくて堪え性のない自分」、と自責しながら部屋を片付けた。

 

断捨離は確かに有効だけど、行き過ぎるとそれはそれで違和感がある。

シンプルライフ」とか言って、何も持たずに生活しているような人がいるけど、ある種の病的な感じがする。

 

結局は、何もない部屋も汚部屋も同じなのかもしれない。

 

まあ、片付いてた方が、傍目に見て健康的なんだけどね。

清潔だし。

 

私は未だに、カエルの抱き枕を捨ててしまったことを後悔しているよ。

大切な物だったはずなんだ。

 

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