ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

低気圧しんどい

むやみにしんどい。

ゲームでもなんでもいいから、時間を忘れたい。

耐え忍ぶだけじゃ気力が削げる。

 

規則正しい睡眠時間のために昼寝は避けてきたんだけど、昨日今日とウトウトしている。

 

風邪が抜けきってないのかもしれない。

 

不安感が押し寄せてきて、枕に顔を押し付けて奇声をあげてたら寝ていた。

夢の中でまで、パニックになって精神安定剤を飲んでいた。

 

疲れる。

 

こういうとき、呼吸が浅くなりがちだから、なるべく深呼吸をする。

 

躁鬱で肩こり・発熱(←あるある)

おそらく風邪をひいた。

ほとんど引きこもりなのに器用なもんだ。

 

ここ数日、弟がゴホゴホやってたのをいただいたらしい。

 

そのせいで、頭がぼーっとするやら関節が痛いやら。

こういう感じ、久しぶりだ。

 

精神安定剤の副作用だと思うけど、治療を始めて頭痛肩こりがだーいぶ軽減した。

 

てっきり職業病かと思って甘んじて受け入れてきたけど、恒常的な緊張感?が原因だったらしい。

 

メンタルリラックスのお薬で肩こりも治る!

万能薬かよ!

 

今回のは、風邪っつっても37℃程度のもんで、市販薬ブチこんだら楽になった。

 

熱といえば、去年の夏は辛かった。

 

躁鬱治療を始めたのは今年の初め。

私の症状が一番重かったのが、その直前の半年間だった。

 

感情の起伏が大きいのはもちろんだけど、それよりも目に見えてしんどかったのが『常時37℃代』という体温だった。

 

私の平熱は、人並に36℃程度だったはずである。

それがどうしてか、夏の終わりからずーっと37℃以上をキープ。

 

原因は不明。血液検査までした。

 

常に頭がぼんやりして、身体がだるい。

それを我慢して、仕事を続けていた。

 

今にして思えば、躁鬱の症状だったのだろう。

躁鬱治療を始めてからは、そんなことはなくなった。

 

あれから一年か。

早い。ついこの間の出来事のような気がする。

 

虚脱状態でいた期間の記憶がすっぽり抜けているせいだ。

 

私の治療は鬱のどん底から始まった。

疲弊した脳みそを、ゆっくり持ち上げてここまできた。

 

自然にまかせて回復させる、というのは実にもどかしい。

昔なら、躁でドカンと一発ブチあげればよかったのに。

 

でも、それは諸刃の剣だ。

若かったから、なんとかなっただけ。

 

大人になんなきゃいけない。

自分の手綱を自分で捌ける、そういう大人に。

 

ママー、晩御飯マダー?

 

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勝手に生んだくせに偉そうに

ひとは望んで生まれてくるのではない。

望まれて生まれてくるのである。

 

私「ばぶー!」

 

たぶん私は、いわゆるアダルトチルドレンだったのだ。

自身のインナーチャイルドに、やっと気づくことができた。

 

なんだか不意に、母との確執が解けた。

道のりは長かった気がするが、結末は実にあっけなかった。

 

始まりは昨夜、なんとなく母に聞いてみた一言だった。

「わたしが学校に行かなかった時期、ママとパパはどう思っていたの?」

 

私は中学までは絵に描いたような優等生だった。

本当だ。嘘じゃないぞ。

 

それが高校に入ってから、ひんぱんに遅刻・欠席を繰り返すようになった。

不登校以上、登校未満。

 

けっして、学校に行かなくなるわけではないが、真面目に行くわけでもない。

素行不良でもなく、ただ、学校に来ない。

 

朝はふつうに「いってきます」と家を出て、失踪。

私の『失踪癖』はこのあたりから始まっている。

 

私には疑問があった。

なぜか、そんな私の素行を叱るひとが誰もいなかったのだ。

 

学校の先生は、私を腫れ物か否か判断しかねていたように思う。

 

母親は、黙って毎朝弁当を作っていた。

『ひきこもり』のように、家に居させてもらえる雰囲気ではなかった。

私は弁当を持って、消えるしかなかった。

 

そのときのことを、母は「あまり覚えていない」と言った。

「なんとなく、学校に行きたくないのだろうと思っていた」と。

 

私は学校に行きたくなかったわけではない。

母は、私がどうして消えていたのか、理由を知らなかった。

そんなこと一度も言えなかったし、聞かれたこともなかったのだ。

 

当時、父の仕事がうまくいってなかったらしい。

妹の病気も、状態が悪かった。

親戚関係でもゴタゴタがあった。

 

そういう中で、私の『訴え』は無視されてしまった。

 

そこまで考えて、やっと気づいた。

私はあのとき、「どうしたの?」と聞いてもらいたかったのだ。

 

いい子の皮を破っても、誰も叱ったり、話を聞いたりしてくれなかった。

毎日、手作りの、愛情が詰まっている「らしい」弁当を持たされた。

なにごともないように。

 

それが本当にさみしかったのだ。

 

そんなさみしさを抱えて大人になったせいで、卑屈になってしまった。

遅すぎる「心配だ」という言葉は、私にとって苦すぎた。

 

素直に、優しい手に泣きつくことができない人間になってしまった。

 

このことを母と話した。

母も当時の無関心を謝ってくれた。

 

ずいぶん、気が楽になった。

今後は、もっとマシな母娘関係を築けると思う。

カミングアウト

自分でいうのもアレだが、交友範囲が広い。

 

躁鬱の波が酷くなると失踪していたので、友人たちに迷惑をかけることは最小限で済んだ。(クソほど心配はさせた)

 

かつてのヘラヘラした私とも付き合ってくれた友人たちだ。

病名がついたからって、離れていくことはない……と思う。

 

親しい人たちには、カミングアウトを済ませてある。

隠して付き合いを続けるのも、変だと思ったから。

 

最初は少し、迷った。

「病気である」と宣言することにより、気を使わせたりしないだろうか、と。

 

実際、面と向かって言うのには勇気がいる。

 

なので、少し工夫をしている。

「私のこと心配してるやつがいたら、教えてやって」と友人に告げているのだ。

 

第三者の言葉を経由して知ってもらうようにすると、不思議と気が楽。

私から伝えるより、友人の口を介した方がマイルドなのだ。

 

噂話の種にされてもかまわない。

そのうえで、私の病状を知ったうえで、むこうから連絡をくれるやつがいるから。

 

本当に、恵まれている。

 

治療を始める直前、鬱の波が大きかったときに、私は携帯電話を壊してしまった。

パソコンも壊しこそしなかったが(しなくてよかった)、電源を入れることもなくなった。

 

それ以来、数か月間連絡の取れなかった私と、友人たちは以前と同じように接してくれる。

まあ、これまでにも度々失踪していたので、その成果でもある。

 

暇だろうと、漫画を貸してくれたり、遊びに連れ出してくれたりする。

先日は映画に行った。今月末は旅行に行く。

 

カミングアウトして良かったと思う。

 

これまでの知り合いについては、これでいい。

問題は今後だ。

 

「はじめまして! ところで私、躁鬱なんです☆」

 

……なんて言うわけにもいかない。

 

そういう混み入った話をいきなりしてくるような人間はだいたい地雷だ。

これマメな。

 

おそらく、信用できるレベルまで親しくなってから、

「実は私、躁鬱でさー」

と、なるのだろう。

 

それなら仕事は?

「躁鬱だから、夜9時以降は連絡取れません。寝ます!」が、世間で許されるのだろうか。

 

私程度の症状では、障碍者としてはまず扱われない。

『普通の』人間として、やっていかなければいけない。

 

べつに、それが大変なことだとは思わない。

誰でも、何かしらの問題は抱えていて然るべきだと思うし。

 

問題があるとすれば、『私程度の病気で』壁がある、と感じさせる世の中そのものだ。

 

政治家よ、なんとかしてくれマジで。

投票には行くからさ。

 

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躁のメリット・デメリットについて考えよう

総合的に判断するとデメリットの方が強いじゃないか。

……というツッコミはおいといて。

 

いやあ9月ですね。涼しいですね。

私は夏が大嫌いなので、秋風を感じて心底ホッとしております。

 

【躁のステキなところ】

 ・寝なくても全然平気! 明るく楽しく元気いっぱい!

  カラオケオールしても朝までハイテンション!

  夜行バス移動で一睡もせずに次の日ずーっと遊べるドン!

 

 ・痩せる! お腹減らないから! 空腹感? ナニソレ!?

  カフェインとニコチンが主食!

  太ってたころより服を選べるようになって物欲もUP!

 

 ・アイディア豊富なクリエイティブ無敵マンになれる!

  いくらでも代替案が浮かぶから議論が行き詰ったときなんかに重宝されたよ!

  でも斜め上な意見出すことが多いから、周囲のスルースキルも上がっていくよ!

 

 ・社交性MAX! 世界のどこまでも会いに行くよ♡♡♡

  日本全国津々浦々! 初めましての人とも意気投合!

  大規模オフ会を企画したり、会ったことないオンライン友だちと旅行に行くよ!

 

そのほか……

 ・本番に強いよ! 面接でも緊張しないよ!

 ・試験なんかは一夜漬けで突破できるよ!

 ・嫌なことがあるとむしろ笑えてくるよ!

 ・行動力があって朗らかだから、そこそこ人気者になれるよ!

 

などなど。

あくまで一個人の見解である。

 

さあ、ここからが本番だ。

冷静になって失ったものを数えよう。

 

【躁のヤバイところ】

 ・脳および身体の酷使

  休むことを知らないって危険だよね……。

  当然、鬱も引き起こすし、免疫力も落ちてその他体調不良もついて回るよ……。

 

 ・金遣い

  物欲センサーの制御などない。

  高価なものじゃなくても、趣味を広げすぎたりして経費がかかるよ。

  ちなみに私はソシャゲのガチャぶん回した。

 

 ・果たされない約束

  そのときはできると思ったんだ。

  ほんとうなんだ。信じてくれ。

 

 ・心にもない暴言

  つい気が高ぶって、自覚なしにむごい発言をして他者を傷つけた……。

  本当に悪いことをした……言葉がトゲトゲしくなるんだ……。

 

 ・あるかないか不明な処女膜

  私の処女膜は、まだ存在しているのだろうか……。

  それは神のみぞ知る……いや、まじでわかんないんだよ……。

 

 あとほかに、留年とか就職できないとかブスとかデブとかいろいろあるけど、いろいろありすぎるので割愛する。

 

 私に幸あれ。

 

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家族について

私は独身である。

だから、家族といえば両親と兄弟について述べることになる。

 

私の家族は、温かく私の病気を見守っていてくれている。

資金的援助はもちろんのことだし、生活習慣が乱れないように気を払ってくれている。

 

とても恵まれている。

もし、そういった家族の援助が得られなかった場合、間違いなく不幸だろう。

 

だから私は不幸ではない。

最悪の事態は回避されている。

 

それなのに、正直に、本当に正直に言うと、家族を信用できないでいる。

 

思春期という重要な時期を、躁鬱、またはその原因となるストレスに晒されながら過ごしてしまった。

その怨念というか、無理解に苦しんだトラウマが、私の中にはびこっている。

 

私は「いい子」のふりをしていた。

その無理してた姿を思い描いて、「あなたはいい子だった」と懐かしがられるのには反吐が出る。

 

他人が、私をどんな人物と見なそうと、その人の自由だ。

だから、家族が私をどんな人物と考えていても、問題はない。

だけど、家族は他人だろうか?

 

ぐるぐると思考は回る。

「理解されたい」のかもしれない。完全な理解など存在しない。

それを知りながら、望んでしまうから苦しいのかもしれない。

 

私の場合、いつ躁鬱が発症したのかは定かではない。

睡眠障害は、少なくとも中学生のときには始まっていた。

 

かつて、私は私自身について「地球とは別の、もっと一日の長い大きな惑星に住んでいる」と表現したことがある。

 

ずっと宇宙人だったのだ、私は。

宇宙人なのに、地球人のふりをしていた。

 

ある時期に、私は私と家族の間に一線を引いてしまった。

それは一般的に「自我の確立」と呼ばれる代物だろうが、その確立が歪だった。

 

家族は重石だ。私を常識に縛り付ける鎖だ。

実家で世話になるということは、同時に監視されているということだ。

 

それが、嫌でたまらない。

また、どこか遠くへ逃げ出したい。

 

以前の失踪は簡単だったけれど、病気が発覚した今となっては難しいだろう。

 

家族は「心配」という大義名分のもと、私にこまめな連絡を要求してくる。

実際、私自身も、監視がなければ何をしでかすか分からない。

 

矛盾だ。どうやったら、自由に生きれるのか皆目見当がつかない。

一寸先は闇。

毎日毎日、どうやって生きようか、どうすれば退屈に殺されずにすむだろうかと考えながら、時間を浪費している。

 

あるいはメンタリティーが落ち着けば。今よりもずっと。

そうすれば、こういう思いに気を取られることもなくなるだろうか。

 

私は不幸ではない。

それなのに、こんなに生きるのが面倒くさい。

 

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躁とスリル

西日が傾いてきた。

魔の時刻、夕方である。

 

「ウッ」ときたので、迷わず頓服薬を飲んだ。

効くゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。

 

おかげで、最近はゆるやかな気持ちで夕食を楽しめている。

ありがたいことだ。

 

 

少しずつだが、同じブログ村躁鬱カテゴリーに登録されているブログを読んでいる。

36moratorium.blog.fc2.com

最初に目が止まったのがこちらだ。

俯瞰的な目線と平坦な文章で、自己を分析しようと努力していらっしゃると思う。

 

ゆーちさんの記事を読んで、「そうそう、それ!」と思わされる点が多々あった。

自分自身の中では曖昧模糊としていた感覚が、見事に言語化されているのを見て嬉しくなってしまった。

 

特に「刺激がないと生きていけない自分に困っている」という点に関しては目から鱗だった。

 

確かに。

確かに、そうなのだ。

 

私には「退屈」としか表現できなかった感覚だった。

 

人並み程度なら、スリルを欲することも自然だろう。

ジェットコースターに乗りたがったり、お化け屋敷に入ってみたり。

 

私の求めるスリルは、いささか行き過ぎている。

自分をわざと追い詰めたり、自分が貶されるのを感じて、笑っていた。

 

リストカットなど目に分かりやすい自傷こそしなかったものの、名誉は存分に傷つけたし、社会的信用、道徳的価値観は全く頼りにならない。

もちろん金もない。

 

そこまで落ちていながら、スリルに酔って笑っていたんだと思う。

 

自分の中にある、そういう衝動に気を付けないといけない。

たぶん、近くにいるひとからすれば、全く笑えない事態だろうから。

 

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