ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

勝手に生んだくせに偉そうに

ひとは望んで生まれてくるのではない。

望まれて生まれてくるのである。

 

私「ばぶー!」

 

たぶん私は、いわゆるアダルトチルドレンだったのだ。

自身のインナーチャイルドに、やっと気づくことができた。

 

なんだか不意に、母との確執が解けた。

道のりは長かった気がするが、結末は実にあっけなかった。

 

始まりは昨夜、なんとなく母に聞いてみた一言だった。

「わたしが学校に行かなかった時期、ママとパパはどう思っていたの?」

 

私は中学までは絵に描いたような優等生だった。

本当だ。嘘じゃないぞ。

 

それが高校に入ってから、ひんぱんに遅刻・欠席を繰り返すようになった。

不登校以上、登校未満。

 

けっして、学校に行かなくなるわけではないが、真面目に行くわけでもない。

素行不良でもなく、ただ、学校に来ない。

 

朝はふつうに「いってきます」と家を出て、失踪。

私の『失踪癖』はこのあたりから始まっている。

 

私には疑問があった。

なぜか、そんな私の素行を叱るひとが誰もいなかったのだ。

 

学校の先生は、私を腫れ物か否か判断しかねていたように思う。

 

母親は、黙って毎朝弁当を作っていた。

『ひきこもり』のように、家に居させてもらえる雰囲気ではなかった。

私は弁当を持って、消えるしかなかった。

 

そのときのことを、母は「あまり覚えていない」と言った。

「なんとなく、学校に行きたくないのだろうと思っていた」と。

 

私は学校に行きたくなかったわけではない。

母は、私がどうして消えていたのか、理由を知らなかった。

そんなこと一度も言えなかったし、聞かれたこともなかったのだ。

 

当時、父の仕事がうまくいってなかったらしい。

妹の病気も、状態が悪かった。

親戚関係でもゴタゴタがあった。

 

そういう中で、私の『訴え』は無視されてしまった。

 

そこまで考えて、やっと気づいた。

私はあのとき、「どうしたの?」と聞いてもらいたかったのだ。

 

いい子の皮を破っても、誰も叱ったり、話を聞いたりしてくれなかった。

毎日、手作りの、愛情が詰まっている「らしい」弁当を持たされた。

なにごともないように。

 

それが本当にさみしかったのだ。

 

そんなさみしさを抱えて大人になったせいで、卑屈になってしまった。

遅すぎる「心配だ」という言葉は、私にとって苦すぎた。

 

素直に、優しい手に泣きつくことができない人間になってしまった。

 

このことを母と話した。

母も当時の無関心を謝ってくれた。

 

ずいぶん、気が楽になった。

今後は、もっとマシな母娘関係を築けると思う。