躁のメリット・デメリットについて考えよう
総合的に判断するとデメリットの方が強いじゃないか。
……というツッコミはおいといて。
いやあ9月ですね。涼しいですね。
私は夏が大嫌いなので、秋風を感じて心底ホッとしております。
【躁のステキなところ】
・寝なくても全然平気! 明るく楽しく元気いっぱい!
カラオケオールしても朝までハイテンション!
夜行バス移動で一睡もせずに次の日ずーっと遊べるドン!
・痩せる! お腹減らないから! 空腹感? ナニソレ!?
カフェインとニコチンが主食!
太ってたころより服を選べるようになって物欲もUP!
・アイディア豊富なクリエイティブ無敵マンになれる!
いくらでも代替案が浮かぶから議論が行き詰ったときなんかに重宝されたよ!
でも斜め上な意見出すことが多いから、周囲のスルースキルも上がっていくよ!
・社交性MAX! 世界のどこまでも会いに行くよ♡♡♡
日本全国津々浦々! 初めましての人とも意気投合!
大規模オフ会を企画したり、会ったことないオンライン友だちと旅行に行くよ!
そのほか……
・本番に強いよ! 面接でも緊張しないよ!
・試験なんかは一夜漬けで突破できるよ!
・嫌なことがあるとむしろ笑えてくるよ!
・行動力があって朗らかだから、そこそこ人気者になれるよ!
などなど。
あくまで一個人の見解である。
さあ、ここからが本番だ。
冷静になって失ったものを数えよう。
【躁のヤバイところ】
・脳および身体の酷使
休むことを知らないって危険だよね……。
当然、鬱も引き起こすし、免疫力も落ちてその他体調不良もついて回るよ……。
・金遣い
物欲センサーの制御などない。
高価なものじゃなくても、趣味を広げすぎたりして経費がかかるよ。
ちなみに私はソシャゲのガチャぶん回した。
・果たされない約束
そのときはできると思ったんだ。
ほんとうなんだ。信じてくれ。
・心にもない暴言
つい気が高ぶって、自覚なしにむごい発言をして他者を傷つけた……。
本当に悪いことをした……言葉がトゲトゲしくなるんだ……。
・あるかないか不明な処女膜
私の処女膜は、まだ存在しているのだろうか……。
それは神のみぞ知る……いや、まじでわかんないんだよ……。
あとほかに、留年とか就職できないとかブスとかデブとかいろいろあるけど、いろいろありすぎるので割愛する。
私に幸あれ。
家族について
私は独身である。
だから、家族といえば両親と兄弟について述べることになる。
私の家族は、温かく私の病気を見守っていてくれている。
資金的援助はもちろんのことだし、生活習慣が乱れないように気を払ってくれている。
とても恵まれている。
もし、そういった家族の援助が得られなかった場合、間違いなく不幸だろう。
だから私は不幸ではない。
最悪の事態は回避されている。
それなのに、正直に、本当に正直に言うと、家族を信用できないでいる。
思春期という重要な時期を、躁鬱、またはその原因となるストレスに晒されながら過ごしてしまった。
その怨念というか、無理解に苦しんだトラウマが、私の中にはびこっている。
私は「いい子」のふりをしていた。
その無理してた姿を思い描いて、「あなたはいい子だった」と懐かしがられるのには反吐が出る。
他人が、私をどんな人物と見なそうと、その人の自由だ。
だから、家族が私をどんな人物と考えていても、問題はない。
だけど、家族は他人だろうか?
ぐるぐると思考は回る。
「理解されたい」のかもしれない。完全な理解など存在しない。
それを知りながら、望んでしまうから苦しいのかもしれない。
私の場合、いつ躁鬱が発症したのかは定かではない。
睡眠障害は、少なくとも中学生のときには始まっていた。
かつて、私は私自身について「地球とは別の、もっと一日の長い大きな惑星に住んでいる」と表現したことがある。
ずっと宇宙人だったのだ、私は。
宇宙人なのに、地球人のふりをしていた。
ある時期に、私は私と家族の間に一線を引いてしまった。
それは一般的に「自我の確立」と呼ばれる代物だろうが、その確立が歪だった。
家族は重石だ。私を常識に縛り付ける鎖だ。
実家で世話になるということは、同時に監視されているということだ。
それが、嫌でたまらない。
また、どこか遠くへ逃げ出したい。
以前の失踪は簡単だったけれど、病気が発覚した今となっては難しいだろう。
家族は「心配」という大義名分のもと、私にこまめな連絡を要求してくる。
実際、私自身も、監視がなければ何をしでかすか分からない。
矛盾だ。どうやったら、自由に生きれるのか皆目見当がつかない。
一寸先は闇。
毎日毎日、どうやって生きようか、どうすれば退屈に殺されずにすむだろうかと考えながら、時間を浪費している。
あるいはメンタリティーが落ち着けば。今よりもずっと。
そうすれば、こういう思いに気を取られることもなくなるだろうか。
私は不幸ではない。
それなのに、こんなに生きるのが面倒くさい。
躁とスリル
西日が傾いてきた。
魔の時刻、夕方である。
「ウッ」ときたので、迷わず頓服薬を飲んだ。
効くゥゥゥゥゥゥゥゥゥ。
おかげで、最近はゆるやかな気持ちで夕食を楽しめている。
ありがたいことだ。
少しずつだが、同じブログ村躁鬱カテゴリーに登録されているブログを読んでいる。
最初に目が止まったのがこちらだ。
俯瞰的な目線と平坦な文章で、自己を分析しようと努力していらっしゃると思う。
ゆーちさんの記事を読んで、「そうそう、それ!」と思わされる点が多々あった。
自分自身の中では曖昧模糊としていた感覚が、見事に言語化されているのを見て嬉しくなってしまった。
特に「刺激がないと生きていけない自分に困っている」という点に関しては目から鱗だった。
確かに。
確かに、そうなのだ。
私には「退屈」としか表現できなかった感覚だった。
人並み程度なら、スリルを欲することも自然だろう。
ジェットコースターに乗りたがったり、お化け屋敷に入ってみたり。
私の求めるスリルは、いささか行き過ぎている。
自分をわざと追い詰めたり、自分が貶されるのを感じて、笑っていた。
リストカットなど目に分かりやすい自傷こそしなかったものの、名誉は存分に傷つけたし、社会的信用、道徳的価値観は全く頼りにならない。
もちろん金もない。
そこまで落ちていながら、スリルに酔って笑っていたんだと思う。
自分の中にある、そういう衝動に気を付けないといけない。
たぶん、近くにいるひとからすれば、全く笑えない事態だろうから。
通院日だった
先日は数週間ぶりの通院日だった。
私の担当医師である妖怪デブメガネ能面は開口一番で
「どうですか」
と、のみ発言する無口なやつだ。
そして、つらつらとした私の供述に聞き入って、診断を下すってわけ。
今回の私の主張は以下の通りである。
「夕方しんどいのマジなんとかなんないッスかね?」
夕方がマジヤバなのである。
ソワソワというか、ヒリヒリというか、ゲロゲロというか。
再三、そのことを訴えてきたせいか、今回は初めて夕方用の頓服薬が出た。
有名な、例のアイツである。
例のアイツは今まで使わずに治療してきた。
私の主な障害は睡眠だったため、メンタル安定は軽いお薬でも大丈夫だったのである。
初めての「例のアイツ」を使ってみた所感。
効きすぎて怖い。
これは依存するひとがいるのも納得だわ~って感じの強烈なダウナー感。
量は少しだけなのに。こんなにはっきり体感できると、たまげるね。
おかげさまで、ふわっふわの浮遊感を楽しんでいる。
同時に、「こわ…あんまり頼りすぎないようにしよ…」と胸に誓っている。
副作用で肩こりまで軽減されて、マジ最高かよ。
でも、この状態で車の運転することはためらわれるし、細かい作業するにも向いていない。
「今日はリラックスするぞオッシャー!」という日に、特に用いてガス抜きするのがいいかもしれない。
私は躁鬱なせいもあるのか、緊張と弛緩のスイッチが下手だ。
そういう気分のコントロール方法として、こういう手段もあるんだってことを知った。
またひとつ成長したよね☆って感じ。
病院選びについて
コラム的な文章も書いておこう。
誰かの参考に……なるだろうか!?
まず、誰しもがぶつかる壁。
病院選びについて。
結論から言わせてもらうと、これは完全に『運』としか言えない。
誰にだって気の合うやつ合わないやつがいる。
そういうレベルの問題だ、と思う。
私が受診したのは二か所。
二回目で当たりを引けたのはかなりラッキーだったと思う。
いろんな病院をたらい回しにされたら、そりゃキツイだろうね。
以下、私の個人的な経緯を交えて述べる。
1件目 心療内科
当初は『睡眠障害』を懸念していたため、それについて看板を掲げている病院を受診した。(過去記事参照)
そんときは、軽躁期だったこともあり、自分が精神障害を抱えているなんて微塵も考えていなかった。
ちょっと眠るのが下手なだけだ、と。
「何日も寝なくて平気で~数日おきに20時間くらい寝ちゃうんですよね~」
初めてのメンタルヘルス的空間だったし、少し緊張してつとめて明るく振る舞ってしまったのを覚えている。
医師は50代くらいの、むしろ政治家にいそうなタヌキ親父だった。
その人はしたり顔で頷きこう言った。
「それも個性だよ。気にすることはない。
どうしても気になるなら、睡眠薬を出そうか?」
そうして私の睡眠チャレンジ生活が始まった。
毎晩、睡眠薬を飲んで無理やり眠りにつき、朝は家族に叩き起こしてもらった。
そして10日目。(十日も頑張ったのだ、と強調したい)
「うっせー! ほっとけ! 寝かせろ!」
起こしにきた家族への暴言とともに、私の睡眠チャレンジはあえなく失敗に終わった。
家族に暴言浴びせるくらいなら、気にしないほうがいいよね……?
それから元の生活リズムに戻した。
規則正しい生活は、私にとって強烈なストレスだった。
通院は二回でやめた。
元のクソみたいな生活に戻った。
今にして思えば、躁鬱でホルモンバランスがぐっちゃぐちゃなのに、睡眠薬だけで直そうとしたのは無理な話だ。
あのタヌキ医師に罪はないけれど、彼は私の躁鬱を見抜いてはくれなかった。
二件目 精神科・心療内科
一件目から半年ほどして、強烈な鬱期に見舞われた。
寝床から起き上がれなくなり、死んだように一日中昏睡し続ける日々だった。
飛び降りなければいけない、という衝動。
悲劇的な想像、募る後悔、絶えない家族との言い争い。
どうしようもなく認知の歪みを自覚し、観念して精神科へ行くことを決意。
家族が勧めてきたのが、現在も通院しているその病院だった。
精神科と心療内科では、意味が多少違うらしい。
門外漢なのでさっぱりわからん。
医療従事者に聞いたところによると、「心療内科は内科医でも看板を掲げられる」ということだった。
できれば精神科がいい。
私はすでに判断を放棄していたし、素直に家族の勧めに従った。
そこの医師は、なんというかこう、ファニーな見た目(デブ・眼鏡・ハゲ)で淡々と話す、能面のように表情を動かさない男だった。
鬱でクラクラしている私の脳みそが、それでも直観を伝えてくる――。
『こいつ、ぜったいオモシロイやつだ……』
元気なときだったら、確実にイジりたおしていた。
絶対、変な趣味を持ってるだろうと思った。(偏見)
絶対、独身だろうと思った。(偏見)
そんな考えがうっすら浮かぶも、鬱により言語能力に支障をきたしていた私は何も言うことができなかった。
たどたどしく病状を説明しながら、思った。
『元気になって、絶対こいつをイジりたおす』
そして双極性障害という診断をいただき、出された薬がてきめんに効いた。
オン・ゴール!!である。
この能面デブ眼鏡医師は、ちゃんと実力もあり、私の躁鬱を見抜いてくれたのだ。
(どう見ても明らかだった、とか言ってはいけない)
こういう理由で、病院を選ぶ人間もいるという話である。
ちなみに、いまだに『イジりたおしたい』という念願は果たせないでいる。
(ジョークを言ったら、少し笑ってくれるようにはなった)
誰かの一笑にふせば、幸いである。
後悔
治療前、最後に倒れたときに、やりかけていた仕事がある。
それがずっと気がかりだった。
その仕事はほかの人の手によって完遂されたし、私がいなくても問題はなかった。
一年近く経って、やはり思うのは、私はその仕事をやりたかったのだ、ということ。
その後悔のせいで、元いた世界に戻れないでいる。
直視するのもつらい。
その仕事を与えられたとき、私は嬉しかった。
自分のいままでの努力が認められたのだと思った。
それなのに、躁鬱でダメにしてしまった。
躁鬱だと、病気だと分かっていたら、安請け合いはしなかっただろうし、もっとマシな幕の引き方があったと思う。
本当にやりたいことだっただけに、情けない終わり方をしてしまったのは無念だ。
いつまでも、過去の失敗を気にしていては先に進めない。
でも実際、仕事にとりかかろうとすると、絵を描こうとすると、手が震える。
どんな絵を描きたいか、それすらも何も頭に浮かばない。
まっしろなキャンバスそのままの脳みそだ。
もしかして、私は躁がなければ絵が描けないのでは?
それは最も怖い想像だ。
でも、少しずつだが、以前の感覚が戻ってきているのを感じる。
本を読めたのは、まず一歩だ。
読書にしたって、以前とは読み方が変わった。
集中力がそんなに長くもたないから、少しずつ読み進めるようになった。
ペース配分とでもいうべきだろうか。
そういうことが身についてきた。
以前は絵を描くとき、描き始めたら完成するまで続けないと気が済まなかった。
躁の勢いそのままに描いていた。
そうすると、手は早いが、細部のバランスなんかを微調整してブラッシュアップすることができず、結果、中途半端なクオリティーにしかならなかった。
これは、ずいぶん前から悩んでいたことだが、それも躁鬱の一言で説明がついてしまうのだから空しい。
空しい。空しい。
躁で満たされたい。
アッパーでハッピーな私に戻りたい。
「汝、足ることを知れ」
「こんなぬるま湯の気分で一生を送るくらいなら、一息に死んでしまいたいなあ!」
そんな、鬱とはまた違う希死観念が頭をよぎるんだ。
生きる希望があるとすれば、躁鬱のときとは違う絵が描けるようになることだ。
「治療してよかった」、そう思えるような。
全ての希望を捨てて生きるには、私の残りの人生は長すぎる。
少しでも希望の兆しがないと、息をするのもつらい。
普通の人生、たとえば定職について好きな人と結婚して子供を授かって老いる――というようなのはとっくに諦めている。
孤独でいい。私の躁鬱に振り回されるのは、私ひとりでいい。
だからせめて、絵だけは描かせてほしい。
睡眠障害
気分がいいので、自分の具体的な症状についてまとめておこうと思う。
私が精神科を受診した理由。
主訴は「睡眠障害」だった。
3日くらいなら、寝なくても平気だった。
それどころか、毎日眠ることが不可能だった。
無理に眠ろうとすると目がさえて、朝まで布団の中で思考し続けていた。
睡眠サイクルが完全に24時間の枠から外れていた。
起きたいだけ起きていて、体力が消耗しきったら倒れこむように眠る――というような生活を、10年近く続けていた。
仕事は時間の融通のきく夜職がメインだった。
自由に仕事をして、自由な時間を遊びに費やしていた。
軽躁状態の典型的な例だったと思う。
でも、そのときはそれが「自分の個性」だと考えていた。
今になって思えば、ほかにも躁鬱らしき症状が見られた。
例えば、「失踪癖」。
数年に一度、学業も仕事も友人との約束もすべてほっぽって、消息を絶ってしまう癖があった。
しばらくすると、何事もなかったように戻ってくる。
ただの「怠け癖」だと思っていた。
嫌なことから、逃避してしまうのだろう、と。
予期せずそんな状態になるもんだから、自分で自分が信用できなくなっていった。
だから、むしろヘラヘラとして「自分はテキトーな人間だから」という風に振る舞っていたと思う。
それが、私にとっての鬱期だったのだろう。
そう考えると、私の躁鬱パターンは、軽躁状態が長く続くものだった。
鬱期で失った周囲からの評価も、軽躁期に挽回することができていた……と、思いたい。
ギリギリのラインで、日常生活は送れていたと思う。
『睡眠スパンが狂ってるヘラヘラしたハイテンションがちな変なやつ。たまに失踪』。
そういう人間を容認する程度には、私の周囲は優しかった。
まあ、それも、二十代半ばで限界が来てしまって……と、いうか、失踪してもいられない状況になり、それまで隠していた鬱が露見→精神科受診、という流れになってしまった。
遅かれ早かれ、こうなってはいただろうな~と。
実際、友人たちに病名を告げても「明らかにおかしかったもんなあ」という返事ばかり。
明らかにおかしくて悪かったな!
それでも、友だちでいてくれてサンキューな!
友だちがいることが救いだ。
これ以上、友人たちに迷惑をかけたくなくて、治療を続けている。
軽躁時の、いわゆる「やらかしエピソード」もたんとある。
墓の中まで持っていこうと思う。
それでも一線を超えて、友人たちを失わずにすんだことは最後の希望だ。