ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

本が読めるようになった

今日は少しうれしいことがあった。

久しぶりに、小説を読めた。

活字に目が滑ることもなかったし、ちゃんと想像して感情移入することができた。

 

昔から本を読むのが好きだった。

けれど、躁鬱の波がひどかったここ数年と、治療を始めた半年ほどは全く読めていなかった。

 

今日、大好きだった本をふたたび開く気になって、お風呂にお湯をためて半身浴しながら冒頭を読んだ。

 

以前の躁状態なら、夢中になって一晩じゅう読み明かしてしまっただろう。

でも、今は限度というものを知った。

 

私はちゃんと毎日眠っているから、明日も朝に起きるだろう。

だから、なにも心配することはない。

なにかに追い立てられるように、急いで読破する必要はない。

 

明日、ゆっくり続きを読もう。

そう思えるようになった自分に、進歩を感じる。

 

今までの人生は、躁鬱に振り回されっぱなしだったような気がする。

「それでは、私の努力は一体なんだったんだ?」

そんな、虚ろな気分に負けそうになる。

 

ボロボロの過去から、ひとつずつ、自分を見つけていこうと思う。

おやすみ! 規則正しい生活が、健常への第一歩だよ!

 

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夕方

朝のうちはぼんやりしている。

昼にかけては高校野球中継を眺めているか、古い洋画を見ているか。

 

夕方が一番つらい。

無性に不安になったり、イライラしたりする。

 

薬は一日一回、夕食後に飲む。

薬を飲むと楽になるから、夕方のこの時間を『ヤク切れ』と呼んでいる。

 

双極性のつらいところは、うつ病と違って、気分を極力ローに保たなきゃいけないところだ。

 

自分自身はこんなに惨めな気分なのに、それで「寛解している」なんて言われる。

 

確かに、どん底のときは死にたくて起き上がれなかった。

でも、やっぱり戻りたいと願わずにいられない。

 

ハイだった、なにもかも楽しかったあの頃へ。

 

一生、こんなつまらない毎日を送るくらいなら、ハイアンドローのジェットコースターに乗っていた方がマシだ。

 

そう思いながら、我慢して治療を続けている。

誰も分かってくれない。

みんな、私に「良くなってよかったね」と言う。

 

出口が見えない。

もっと活動的になって、満足感をもって夜を迎えられるようになりたい。

 

「好きなことをしていていいよ」と言うけれど、好きなことをして楽しめなかったとき、本当に死にたくなる。

 

好きなことをするのが、むしろ怖い。まだ怖い。

 

だから、高校野球中継を見たり、古い洋画を見たりしている。

 

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改めまして!

こんにちはこんばんは、go_souです。

 

双極性障害って一生治んねえのかよチクショー!

と、言えるほどには元気になりました。えへえへ。

 

診断当初、あまりにまとまらない自分の思考を整理するために、このブログを書いていました。

 

マヒった脳みそで打った文章だけあって、堅いやら文章がぎこちないやら!

今見返すと、腹抱えて笑いそうになりますが、これも自分の軌跡かと思ってそのままにしておこうと思います。

 

しかしながら独り言も言い飽きたのか、数か月ほど放置プレイになっていました。

 

自己観察としての必要がないなら、書かなくてもいいんだけどね。

でもね。

 

鬱がつら~いつら~い時は「ここから抜け出したい」とばかり思っていたのに、人間は欲深いね。

ある程度、病状が寛解すると、別の必要が出てくるんだよね。

 

それは孤独感にゆえんする。

同じソーウツで悩んでるひとと、この苦悩を分かち合いたい!

 

具体的に言うと、「活字読めなくなるよね、わっかる~笑」みたいな感じで笑い飛ばしたい!

そんな仲間がほしい!

 

そう思って(ただの軽躁状態なのかもしれない悲しい)、ブログ村にも登録してみる次第。

 

続くかはわかんないけど、自己満足的に書き散らしていこうと思います。

できるだけ明るく。暗いのは嫌いなんだ。

 

鬱状態のひとには目障りかもしれないけど、許してね。

改めてよろしく! はじめまして!

 

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一部の友人たちに現状を伝えることができた。

やっと言えた。ここまで長かった。

 

友人たちのもとへ戻りたいという気持ちだけが支えだった。

けれど、まだ以前のようには振る舞えないし、どう伝えればいいのかも分からなかった。

 

ようやく言葉が出てきた。

安堵のあまり涙が出た。

 

デブメガネ医師は言った。

「症状が良くなれば母親とも衝突しなくなるだろう」

その通りだった。

薬と規則正しい生活で、私の脳みそは整っていく。

治療を続けること、それが重要だ。

 

SO_UTSUを言い訳に使っているような気がして不安だった。

本当に自分は病気なのか?

どこからどこまでが自己責任で、仕方がないことだったのか?

もうそんなボーダーを引こうとするのはやめにしよう。

それら全部が「わたし」だ。受け入れよう。

 

その結果、誰かの怒りを買ったり、迷惑をかけたりすることもあるだろう。

恐れるな。生きるとはそういうことだ。

より良くなるように努めることだけが誠意の証だ。

 

失ったものの大きさや、これから待ち受けていることを想像するのはやめよう。

悲しくなるから。

持っているものを数えよう。

起きたら大量の冷や汗で寝間着がびしょ濡れだった。

寝汗の範囲を超えている。しかも今は冬だ。

 

悪夢をみた覚えがある。

想像的でオカルティックな夢なら起きてから楽しめるけど、あいにく現実的な夢ばかりでつらい。

 

そういえば、想像をしなくなっている。

世界観や物語、生活の営みなど、夢想するのが好きだった。

 

いまはひたすら現実に目を向けている。

 

ジムに通いだしたのはよかったと思う。

自分の肉体のことを、まったく知らなかったと気づいた。

こんな状態にならなければ興味も持たなかっただろう。

人間とは愚かなものだ。

 

人間は内臓と脳で動いていると思い込んでいた気がする。

腕を上げるのには、腕以外の筋肉も使っている。

体幹や姿勢、呼吸、体温、触覚。

大切なことだと知った。

ひとつの動作によって、身体のどこを使うのか。

そういうことを考えるきっかけになった。

 

肉体と脳は神経によってつながっている。

その神経は背骨の中を通っている。

身体を動かすと、神経が刺激を受ける。

末端を動かすこともそうだし、背を伸ばすことも神経を呼び覚ます行為だ。

当たり前に使うだけ使って、神経を労わることをしなかった。

運動しろ、日光に当たれ、とは言うけれど、それは神経を刺激しろという意味だったんだ。

 

無意識に肩に力が入ってしまう。奥歯を噛みしめてしまう。

そういうのが癖になって自分にこびりついている。

脱力すること。それを意識的にできるようにならなくては。

少し間があいた。本当に調子が悪かった。

 

四度目の通院だった。

睡眠薬が減って、気分が上がるお薬が増えた。

 

そのおかげか、夕飯後から元気だと思う。

いつもより笑っている。

 

睡眠薬は常用ではなくなって、必要なときにのみ使うことになった。

昨日はヘトヘトに疲れていたし不要と思っていたけど、結局ベッドに入ってから一時間も眠れなかったので飲んだ。

 

次第にリズムが整いつつあるだけに、あと一歩という感じだ。

 

今朝は問題なく起きれた。

本当に、6時前後に自然と意識が戻る。

そのまま目覚ましが鳴るまでゴロゴロしている。

インスタントコーヒーとタバコで一服して、ウサギに挨拶する。

朝ごはんも食べた。

 

母に昼飯を抜きがちだと言ったら、少しでも食べたほうがいいと諭された。

つい、甘いものをつまんでお茶飲んで満足してしまう。

それだと栄養が摂れない。

空腹になるのを待つのではなく、決まった時間に栄養を摂ることを意識しなくてはならない。

 

運動はちゃんと継続している。

週に4,5回、1日2~3時間。

無酸素運動を少しと、汗をかく程度の有酸素運動

運動しているあいだは、改善に向かって努力しているという安心感がある。

ネガティブなことを考えないで済むのは救いだ。

相変わらず、楽しいとか好きとかいう感情は薄い。無だ。

ただ、なるべく楽して身体を動かして汗を流そうと努めている。

 

ヨガというのは、実にしゃらくさいと思う。

奥が深いだとか大仰な講釈がつきものだけど、内容はいたってシンプルだ。

心を「現在」に留めるためのポーズと呼吸と瞑想。

過去にも未来にも捕らわれず、「現在」の自分に集中する。

私が必要としているものと合致している。

べつに辛いものではないし、今後もヨガのプログラムに参加すると思う。

でもやっぱりしゃらくさいと思う。

 

参加した中ではエアロビが一番しんどいなあ。

あれって運動するためのダンスなんだもん。

芸術性とか精神性に欠けてる。その分合理的だ。

 

スポーツジムに通いながらタバコを吸っているなんて馬鹿げている。

でも、それくらいの自己矛盾をゆるさないと、これまでの自分の莫大な自己矛盾をうまく許容できない気もしている。

 

友達と連絡を取れるようになりたいが、自分の状態をどう伝えていいものか迷っている。

答えが出ないということは、まだその時ではないんだと思う。

まずは自分に縁遠いひとから伝えてみて、反応を見てみるべきなんだろう。

可能なら、できるだけ面白おかしく話せるようになりたい。

 

医療従事者はちゃんとSO_UTSUについての知識があるから、安心して話せる。

けれど、偏見というか、誤解のようなものを抱いているひともいるだろう。

そのひとたちに罪はない。迷惑をかける性質だから。

でも今の私には、万一話がこじれたときに上手く繕える自信がない。

また、相手の反応に対し、正確な認知を行えるかも自信がない。

悲劇を引き起こしかねない。

 

説明すれば、分かってもらえるだろう。

でも自分の言葉で説明するだけの気力がないうちは、いたずらに話すべきではないと思う。

 

ここ数日、調子が悪かった。

睡眠薬の量かもしれないし、疲れているのかもしれない。

生理前だからかもしれない。年明けにきたきりだ。

スパンが長いにしたって、そろそろなはず。

 

昨夜は自己判断で錠剤を半分に割って飲んだ。

そのおかげか、しゃんと朝に起きている。

 

自己判断は危険だとわかっちゃいるけれど、増やした薬の量を以前に戻すくらいは許してほしい。

 

頭が回るようになったから、いろんなことを考えている。

とにかく悲観的、ではなくなったけれど、油断するとマイナスに傾く。

そしたら思考停止するように意識している。

 

夢見が悪いのが考えものだ。

嫌な夢ばかり見る。起きたとき、じっとり汗をかいていることさえある。

 

憂鬱は抑えられているけど、同時に楽しい気分も抑圧されている。

そろそろ治療を始めて一ヵ月。

よく忍耐していると思う。努力もしている。

自分くらい自分を褒めてやりたい。

 

ある種のストレスが溜まりつつあるのかもしれない。

発散しないといけないタイプの。

でも、どうすれば発散されるのか皆目見当がつかない。

 

好きだったものを見ると悲しい。まだ悲しい。

以前のような熱意をもって打ち込めるか不安だ。

楽しかった頃のふりをして、冷めた気分で遊ぶのほどつらいことはないだろう。

 

でも、料理はできた。

ものを作ること、それが喜びであることに変わりはないようだ。

少しづつ、これからのペースを掴んでいけばいい。

焦るな。冷静に。