ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

恋愛とセックスのこと

私はてっきり躁鬱の症状かと思ってたんだけど、そうじゃないっぽい説。

 

他の双極性障害のひとのブログを読んでると、既婚者率高いのに驚く。

独身の若い子でも、彼氏ほしいみたいで。

 

あんまり大きな声では言えないけど……

わたし、恋愛に興味なくて(大声)

過去も現在も。

 

えっ、これって躁鬱のせいじゃないのか?

性的マイノリティーな可能性浮上?

 

なかなか的確な表現が思いつかないので羅列すると、

  • 一人の人間に興味が持てなかった!

  躁ってればひたすら楽しいので、彼氏の必要性を感じなかったともいえる。

  気分もジェットコースターなので、それに他人を付き合わせたくなかったし。

 

  • 「こんなクズを愛する人間などいない」と考えていた!

  鬱になると自己否定の極みに陥るので……。

  好意を寄せてくれる人もいたけど「こんなクズを好きだなんて頭おかしい」と拒絶しました。

  今思うと申し訳ない! ごめんな!

 

  • こんなクズの遺伝子を後世に残したくない!

  出産願望なし! 結婚願望なし!

  親に孫の顔見せるのは他の兄弟に託すわ!

 

こういうことを口に出すと、「そんなのおかしい! 違うよ!」って言われがちなので、あんまり言わないようにしてきました。

 

先日、母親に恋愛に興味が本当にないことを告げたら、

「女の子は? 女の子は、好きじゃないの?」

と、真剣な顔で聞き返されました。

 

レズビアンでもないです。

美人は好きですが、エロいことしたいと思ったことはないです。

私の風体がそれっぽいので、しばしば誤解されますが、違います。

(でも他人に恋愛話振られるのがめんどうなので、レズと勘違いされてそっとしておかれるのはラク)

 

アセクシャルなのかなー。

芸能人のイケメンとかは、ふつうに好きなんだけどね。

それはファン心ってやつで。

 

でも、『結婚』は最後の切り札として、頭の隅には置いておこうと思っている。

私くらいでも、選ばなければ条件のいい結婚ができるだろう。

万が一、一人では生きていけない事態に陥ったときのために、そういう可能性は捨てないでいる。

 

……いや、しかし。

結婚って、そう考えるものじゃないよね。

もっと、夢とか愛をともなって語るものだよね。

それができないんだよなー。

 

んで、セックスの話。

これも、私にとっては『切り札』でしかなかった。

 

スリルを味わうための、交渉用カードとみなしていた(わはは)。

 

穴があれば女だし、そこに突っ込んだらもうそれはセックス!

スポーツみたいなもんや!

避妊だけはちゃんとしような!

 

……と、いうような浅はかな認識だ。

 

恋愛もセックスも、『すごいもの』だとは思うんだけど。

だって、生きてて他人とそれ以上親密になる行為って他にないし。

 

ある意味、私は他人と深く関わりあうことを望んでいない孤独な人間といえる。

 

どうも、思春期を躁鬱で過ごしたせいで、その辺の認知が歪んでしまっている気がするんだよなあ。

前述した私自身のインナーチャイルドが、愛されることを拒否している気もする。

 

愛により人は苦しむとしか思えないんだよ。

 

こういう思考も、病状が良くなれば変わるんだろうか。

でも、四半世紀この価値観で生きてきたわけで、今さらどうにかなる気はしない。

 

ずっと前から、仮説として自分の中にはあった。

しかし、二十歳そこそこで「自分は誰も愛せない」と断定するのは難しかった。

 

もういい加減、いいんじゃないだろうか。

私もいい歳だ。

 

僕はとっても疲れたんだよ、パトラッシュ。

 

 

 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村

無闇に時間を堪え過ごしてる

母に来客があったので、家を出た。
近所の喫茶店で資格の勉強をしている。

いや、勉強していた。
飽きた。そんでブログを書いている。

あまりにも無気力だった時期、軽い気持ちでテキストを買ってもらってしまった。
(買ってもらった、というのがミソである)

今まで、たくさんのことを途中で投げ出してきた。
躁鬱のせいだと思いたい。

治療をして安定した今、この資格勉強は完遂したいものだ。
合否はとりあえず置いといてさ。

……と、いきまくものの、実際はクソほどめんどくさい。

願書を出したくすらなかったが、もう遅い。
出した。

他にやることもないし、ええねんけどさ。
めんどくせえ。

資格の内容としては、「やりたいこと」よりも「得意な分野」だ。

やりたいこととなると、切実な思いがつのりすぎていて、かえって腰が重い。
神経質になりすぎるのだ。

その点得意分野なら、学習もスムーズだし無駄な緊張をしなくてすむ。

意欲に欠けるってだけで。

やりたいことと、やれることが一致していない。
人生のジレンマだ。

実は最近、ごくごく軽いバイトをしている。
知り合いに頼まれて、中学生の家庭教師をしているのだ。

業者を通さず個人でやりとりしてるから、非課税だし中抜きもない。
たまにする分には歩合の悪くないバイトだ。

幸か不幸か、なかなか好評でもある。
中学まで真面目で大人しく従順だった成果だ。

実に皮肉だ。
教育業なんてクソ食らえって思ってんのに。

健全に小遣い稼げてるだけマシか。

過去のバイト職歴はさまざまだけど、結局一番長かったのは夜職だ。

別にやりたいことではなかったけど、スリルはあった。
シフトに融通が利き、突然の体調不良にも寛容。

いろいろ火傷もしたけど、それも社会勉強だったと思いたい。

稼ぎはどうせあぶく銭だと思って、端から使った。
空白の職歴だけが残った。

そういや、物欲ってやつは戻ってこないな。
前はいくらでも欲しいものがあったのに。

こっちも空白だ。

鬱のときに断捨離しまくった話

気分が安定している。

いやあ、昨日はつらかった。

 

安定していると、視野が広くなる。視界が開ける。

自室を見渡すと、ろくに片づけていないのにスッキリしていることに気づく。

 

物が少ないのだ。

 

と、いうのも。

鬱期によけいな物はぜーんぶ捨ててしまったのだ。

 

だって、死のうと思ってたし☆

身辺整理ってやつだ。

 

日常に必要な物と、本当に大切な物を残して、処分してしまった。

特に、場所を取る大きな物を。

 

お気に入りだった巨大カエルの抱き枕も、誕生日にもらったチュッパツリーも、大量にあった書籍(特に、卒論関係)も、漫画も、画材も全部捨てた。

 

躁のときは何をやっても楽しくて、趣味を広げすぎたくらいだった。

それが、鬱期になるとすべて色あせて見える。

 

『不要な物』に囲まれている自分が、愚かに思えてくる。

手放すことに、無頓着になる。

 

躁鬱の自覚がなかったもんで、その『気分』が一過性のものとは気づかずにいた。

「なんて飽きっぽくて堪え性のない自分」、と自責しながら部屋を片付けた。

 

断捨離は確かに有効だけど、行き過ぎるとそれはそれで違和感がある。

シンプルライフ」とか言って、何も持たずに生活しているような人がいるけど、ある種の病的な感じがする。

 

結局は、何もない部屋も汚部屋も同じなのかもしれない。

 

まあ、片付いてた方が、傍目に見て健康的なんだけどね。

清潔だし。

 

私は未だに、カエルの抱き枕を捨ててしまったことを後悔しているよ。

大切な物だったはずなんだ。

 

 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村

 

低気圧しんどい

むやみにしんどい。

ゲームでもなんでもいいから、時間を忘れたい。

耐え忍ぶだけじゃ気力が削げる。

 

規則正しい睡眠時間のために昼寝は避けてきたんだけど、昨日今日とウトウトしている。

 

風邪が抜けきってないのかもしれない。

 

不安感が押し寄せてきて、枕に顔を押し付けて奇声をあげてたら寝ていた。

夢の中でまで、パニックになって精神安定剤を飲んでいた。

 

疲れる。

 

こういうとき、呼吸が浅くなりがちだから、なるべく深呼吸をする。

 

躁鬱で肩こり・発熱(←あるある)

おそらく風邪をひいた。

ほとんど引きこもりなのに器用なもんだ。

 

ここ数日、弟がゴホゴホやってたのをいただいたらしい。

 

そのせいで、頭がぼーっとするやら関節が痛いやら。

こういう感じ、久しぶりだ。

 

精神安定剤の副作用だと思うけど、治療を始めて頭痛肩こりがだーいぶ軽減した。

 

てっきり職業病かと思って甘んじて受け入れてきたけど、恒常的な緊張感?が原因だったらしい。

 

メンタルリラックスのお薬で肩こりも治る!

万能薬かよ!

 

今回のは、風邪っつっても37℃程度のもんで、市販薬ブチこんだら楽になった。

 

熱といえば、去年の夏は辛かった。

 

躁鬱治療を始めたのは今年の初め。

私の症状が一番重かったのが、その直前の半年間だった。

 

感情の起伏が大きいのはもちろんだけど、それよりも目に見えてしんどかったのが『常時37℃代』という体温だった。

 

私の平熱は、人並に36℃程度だったはずである。

それがどうしてか、夏の終わりからずーっと37℃以上をキープ。

 

原因は不明。血液検査までした。

 

常に頭がぼんやりして、身体がだるい。

それを我慢して、仕事を続けていた。

 

今にして思えば、躁鬱の症状だったのだろう。

躁鬱治療を始めてからは、そんなことはなくなった。

 

あれから一年か。

早い。ついこの間の出来事のような気がする。

 

虚脱状態でいた期間の記憶がすっぽり抜けているせいだ。

 

私の治療は鬱のどん底から始まった。

疲弊した脳みそを、ゆっくり持ち上げてここまできた。

 

自然にまかせて回復させる、というのは実にもどかしい。

昔なら、躁でドカンと一発ブチあげればよかったのに。

 

でも、それは諸刃の剣だ。

若かったから、なんとかなっただけ。

 

大人になんなきゃいけない。

自分の手綱を自分で捌ける、そういう大人に。

 

ママー、晩御飯マダー?

 

 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村

勝手に生んだくせに偉そうに

ひとは望んで生まれてくるのではない。

望まれて生まれてくるのである。

 

私「ばぶー!」

 

たぶん私は、いわゆるアダルトチルドレンだったのだ。

自身のインナーチャイルドに、やっと気づくことができた。

 

なんだか不意に、母との確執が解けた。

道のりは長かった気がするが、結末は実にあっけなかった。

 

始まりは昨夜、なんとなく母に聞いてみた一言だった。

「わたしが学校に行かなかった時期、ママとパパはどう思っていたの?」

 

私は中学までは絵に描いたような優等生だった。

本当だ。嘘じゃないぞ。

 

それが高校に入ってから、ひんぱんに遅刻・欠席を繰り返すようになった。

不登校以上、登校未満。

 

けっして、学校に行かなくなるわけではないが、真面目に行くわけでもない。

素行不良でもなく、ただ、学校に来ない。

 

朝はふつうに「いってきます」と家を出て、失踪。

私の『失踪癖』はこのあたりから始まっている。

 

私には疑問があった。

なぜか、そんな私の素行を叱るひとが誰もいなかったのだ。

 

学校の先生は、私を腫れ物か否か判断しかねていたように思う。

 

母親は、黙って毎朝弁当を作っていた。

『ひきこもり』のように、家に居させてもらえる雰囲気ではなかった。

私は弁当を持って、消えるしかなかった。

 

そのときのことを、母は「あまり覚えていない」と言った。

「なんとなく、学校に行きたくないのだろうと思っていた」と。

 

私は学校に行きたくなかったわけではない。

母は、私がどうして消えていたのか、理由を知らなかった。

そんなこと一度も言えなかったし、聞かれたこともなかったのだ。

 

当時、父の仕事がうまくいってなかったらしい。

妹の病気も、状態が悪かった。

親戚関係でもゴタゴタがあった。

 

そういう中で、私の『訴え』は無視されてしまった。

 

そこまで考えて、やっと気づいた。

私はあのとき、「どうしたの?」と聞いてもらいたかったのだ。

 

いい子の皮を破っても、誰も叱ったり、話を聞いたりしてくれなかった。

毎日、手作りの、愛情が詰まっている「らしい」弁当を持たされた。

なにごともないように。

 

それが本当にさみしかったのだ。

 

そんなさみしさを抱えて大人になったせいで、卑屈になってしまった。

遅すぎる「心配だ」という言葉は、私にとって苦すぎた。

 

素直に、優しい手に泣きつくことができない人間になってしまった。

 

このことを母と話した。

母も当時の無関心を謝ってくれた。

 

ずいぶん、気が楽になった。

今後は、もっとマシな母娘関係を築けると思う。

カミングアウト

自分でいうのもアレだが、交友範囲が広い。

 

躁鬱の波が酷くなると失踪していたので、友人たちに迷惑をかけることは最小限で済んだ。(クソほど心配はさせた)

 

かつてのヘラヘラした私とも付き合ってくれた友人たちだ。

病名がついたからって、離れていくことはない……と思う。

 

親しい人たちには、カミングアウトを済ませてある。

隠して付き合いを続けるのも、変だと思ったから。

 

最初は少し、迷った。

「病気である」と宣言することにより、気を使わせたりしないだろうか、と。

 

実際、面と向かって言うのには勇気がいる。

 

なので、少し工夫をしている。

「私のこと心配してるやつがいたら、教えてやって」と友人に告げているのだ。

 

第三者の言葉を経由して知ってもらうようにすると、不思議と気が楽。

私から伝えるより、友人の口を介した方がマイルドなのだ。

 

噂話の種にされてもかまわない。

そのうえで、私の病状を知ったうえで、むこうから連絡をくれるやつがいるから。

 

本当に、恵まれている。

 

治療を始める直前、鬱の波が大きかったときに、私は携帯電話を壊してしまった。

パソコンも壊しこそしなかったが(しなくてよかった)、電源を入れることもなくなった。

 

それ以来、数か月間連絡の取れなかった私と、友人たちは以前と同じように接してくれる。

まあ、これまでにも度々失踪していたので、その成果でもある。

 

暇だろうと、漫画を貸してくれたり、遊びに連れ出してくれたりする。

先日は映画に行った。今月末は旅行に行く。

 

カミングアウトして良かったと思う。

 

これまでの知り合いについては、これでいい。

問題は今後だ。

 

「はじめまして! ところで私、躁鬱なんです☆」

 

……なんて言うわけにもいかない。

 

そういう混み入った話をいきなりしてくるような人間はだいたい地雷だ。

これマメな。

 

おそらく、信用できるレベルまで親しくなってから、

「実は私、躁鬱でさー」

と、なるのだろう。

 

それなら仕事は?

「躁鬱だから、夜9時以降は連絡取れません。寝ます!」が、世間で許されるのだろうか。

 

私程度の症状では、障碍者としてはまず扱われない。

『普通の』人間として、やっていかなければいけない。

 

べつに、それが大変なことだとは思わない。

誰でも、何かしらの問題は抱えていて然るべきだと思うし。

 

問題があるとすれば、『私程度の病気で』壁がある、と感じさせる世の中そのものだ。

 

政治家よ、なんとかしてくれマジで。

投票には行くからさ。

 

 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 躁うつ病(双極性障害)へ
にほんブログ村