ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

昨夜、ここの文章を書いたのは失敗だった。

今後しばらくは、陽のあるうちにしか書かないことにする。

文章を書くことはエネルギーがいる。

 

医師の指示で、午前0時までには就寝することになっている。

寝る前にモニターに向かうのはよくない。

ベッドの中で、文章を推敲している自分がいた。

これが私の悪いところ。

 

かつてなら、そこでもう眠れなくなった。

起き上がって、朝までなにか作り続けていた。

 

目がさえるってこと。

睡眠薬もいまいち効かない。

じっと横になるのに耐えかねて、起き上がったら午前3時だった。

煙草を吸って、ホットミルクを飲んだ。

それからもう一回横になったら眠れた。

 

昨日、計画した病院への電話は無事クリアした。

便秘薬を処方してくれるってさ。

 

歩いていこうかと思ってたけど、今日はあまりに寒すぎる。

あと、新品のスニーカーはまだ温存しておこうかと思って。

 

ほんとうに、運動の仕方が分からない。

スポーツジムとか、そういう施設の利用を検討している。

せめて初動にトレーナーが必要だ。

公園のベンチで小鳥眺めて終わりそう。

「あれはシジュウカラ、こっちはコゲラ

だったら、室内用にスニーカーはとっておいた方がいい気がする。

 

ただ歩くだけでもいいんだろうけど、もはや通り越して筋肉がほしい。

軟弱な精神には筋肉が必要なんだと思う。

そこまで続けられる保証はないけど、やってみるぶんには問題ない。

別のことに目を向けてみよう。

マッチョイズムは嫌いだけどさ。

 

市営の施設を調べてみたら、健康保険の種類によって割引が受けられると知った。

私は扶養家族として父の会社の保険に入っている。

そんなサービス知らなかった。

 

知らないというのは損をする。

貧困のデススパイラルとはいうけれど、広義にはこれもその一部。

でも調べるのめんどくせえから、本当の金持ちはこういうサービス使わないよな。

善良な小市民が使うんだろう。

 

でも父の会社が契約してるような保険会社だし、どうせシケた内容だろうなと思って調べたら、まあまあシケていた。

近くにある民営スポーツクラブの割引だ。

でもこの割引率なら、ほかにデフォルトで用意されてるプランの方がいい。

一日体験(見学ではない)の割引がコスパ良さそうだった。

目先を変えに行ってみようと思う。

 

と、両親に言ったら前のめりに「入るか?」と言われた。

よほど私を健康にしたいらしい。実にいい親だ。

私は続けられるかわからないから、そこまで本気ではない。

 

UTSUではなく、SO_UTSU。

この違いについて、そのうち本でも読もうと思う。

たいした知識を持っていない。

アッパーとダウナーを繰り返す、ってことくらいしか。

 

自分はUTSUからは遠い性格だと思っていた。

でもSOだから仕方ない。

 

UTSU状態は辛かったけど、治療中はそんなに問題ない。

だから、友人諸氏にはあまり心配しないでほしい。

 

幸運にも、私には良識ある両親という経済基盤があるし、日々の衣食住に事欠いてはいない。

不幸なのは、それらがなかった場合だ。

 

UTSUの真っ最中は死ぬことばかり考えていたけれど、それももうない。

それに、手首を切るとかそういうまどろっこしいやり方はまずなかった。

あれは気を引くためにやる行為だと思う。

(切ると脳からアドレナリンが出て落ち着くから繰り返すらしいね。私には縁がなかったが)

 

気を引きたくなかった私はそういう手段を避けた。

死よりも怖かったのは、自ら死ぬことすらできない身体になること。

脳への酸素供給が一定時間止まると、半身不随などの後遺症が残るという。

首吊りに失敗した人間にある事例らしい。

飛び降りることも適わない身体で生き続けるのが、そのときは恐怖だった。

睡眠薬過剰摂取も同じ。吐いたら意味がない。

 

すっぱり、一息に死ねる方法を考え続けていた。

数メートル飛び降りながら首を吊ると、首の骨が一瞬で外れて苦しみが少なく済むという。

けれど死ぬと身体中の筋肉が弛緩するから、いろんなものが垂れ流しになって見苦しい。

顔もうっ血するだろう。醜い。

 

10階以上の高さからコンクリートの地面めがけて飛び降りるのが一番に思われた。

地面のシミになるのが一番スマートだ。

 

ここまで考えたところで、さらに調べると飛び降り後の清掃料に莫大な料金がかかるという。

ことごとく人間社会はめんどくさい。

やはり、山奥深くに分け入って微生物に分解されるしかないのか?

それにしたって捜索隊が組まれた場合、多額の人足代がかかるという。

「うちの親絶対捜索届出しちゃうもんなあああああああああ」

 

私に残された救いの地は東尋坊しかないように思われた。

そもそも、こんな後の事まで真剣に考える人間はそうそう自殺しないんだ。

線路に飛び込むと天文学数字の賠償金が発生するというのに飛び込むやつは後を絶たない。

そういう勢いでもって、後先考えずにやるもんだ。

 

そんなことばっかり考えてたよ。

もう嘘みたいに感じるけどね。医学ってすごいや。

「認知のゆがみ」という単語に思い当たった。

薬を服用する前の私の状態だ。

 

そういう状態にあると、自分自身感じてはいた。

しかし、それを表現することができなかった。

語彙力がずいぶん落ちていた。まだ本調子ではないと思う。

使える言葉数、センテンスの長さがかなり制限されていた気がする。

ひどいときは単語でしか話せなかった。

長い話をしていると、途中から自分がなにを話しているのかさえ分からなくなる。

 

「認知のゆがみ」については、一時期他人について困らされたことがあった。

さんざん検討した他者の境遇にみずからも陥ることになるとは。

それにやっと思い至った。

 

自覚していた以上に、自分の状態は悪かったんだろう。

冷静に振り返ってみると、明らかに奇妙な思考をしていた。

 

診断されたその時は「なにを大げさな」と少し思った。

だらしない性格だから。

倫理観が狂っているから。

運が悪いから。

想定しきれてなかったから。

自分がわるい。

 

もちろん、自己責任の範疇もあるだろう。

今後、改善しなくてはいけない面が多々ある。

謝らないといけないことも。

 

でも、それは治ってからだ。

完治するようなものではないようだが、せめてまともになってから。

今のままでは、むやみに事態をこじらせてしまう。

すでにさんざんこじらせたあとだ。

 

幸いなことに、最悪の事態は回避したと思う。

攻撃しないように親しいひとたちから距離を置いた。

それが鬱状態のときに、一般的に起こりうることなのかは分からない。

自分の本能かもしれない。友達が大切だ。

 

約束を反故にしたまま消えた私を、友人たちは許してくれるだろうか。

それが怖い。でもまだ、それを考える段階ではないと思う。

過去の自分の言葉を引用する。

「本当の友達とは、足並みをそろえるものじゃない。

 全力疾走しても横にいてくれたやつが友達なんだ」

信じよう。大丈夫。落ち着け。

不確定要素について泣いたり悩んだりするな。

 

混乱しているときに感じていたのは、「スパゲッティー状態」。

「メモリ8Gですいすい快適処理だったのが、急に2Gになったような」。

脳みその半分も使えていない感覚があった。

 

二度通院したが、まだ一度もカウンセリングを受けていない。

してくれないのか、するものじゃないのか、と疑問だったが、今にして思えば医師の判断は合理的だったと思う。

あんな状態でいくら話してもらちがあかない。

とりあえず薬ブチこんで日本語話せるようにならなきゃ。

それから今後のことなり過去のことなり相談しよう。

 

そもそも自分の状態についてさえよく知らないんだ。

いつから? なにが原因で?

これからはどうする?

何度も繰り返すが、今考えることではない。

おいおいの課題とする。

 

ところで二度目の診察で薬を調整したらしいが、いまいち合っていない気がする。

気分は悪くないし、頭のめぐりも戻りつつある。

ウンコが出ない。腹がパンパンだ。

「ひどい便秘などがある場合は医師に相談~」というけど、「ひどい便秘」って何日だろう。

日数換算で物を考えることに慣れていないんだ。

副作用としての吐き気止め(?)を止めるとも言われたが、たしかに喉に圧迫感がある。

 

昨日、調子に乗って「普通の」外出を半日ほどしたが、そのあとの疲労感がたまらなかった。

いきなりブチあげすぎたのかも。

焦って空腹のまま薬を飲んでしまって、胃が焼けちまった。

反省している。誘いを断ることも大切だ。

その辺の判断あたりから、考えることを始めよう。

いままでは全部行くか、全部断るかの二極だった。

大丈夫、できるようになるさ。

 

そんなわけで、次の通院日までは何日かあるんだけど、電話するなりして医師の判断を仰ぐ必要がある。

それが真っ先の課題だろう。

いやだな。めんどくさいな。おっくうだ。

でもまあ、それくらいはできるかなあ。

 

初診の予約の電話すら自分でできなかった。

明日は自分で電話をする。改善だ。

 

スニーカーを買ってもらった。

父に「ほしいものはあるか」と聞かれた。

けれど、こういう状態のときって物欲が死んでる。

過去に大切にしていたコレクションすら、さんざん処分してしまった。

でも運動したほうがいいというから、靴がほしいといった。

スポーツ用の、底にクッション性のあるやつ。

 

子供のころから運動は苦手だった。

履いたことのあるスニーカーなんて、せいぜいコンバースくらいだ。

ファッションにしても、どちらかといえばイギリス寄りだった。

聞く音楽もロックとかだったのに。

それがこんな状態になったら、ヒップホップでナイキのスニーカーだもん。

笑っちゃう。

 

デザインは気に入ったものがあったから(母なんて値段気にせず好きなもん選べっていうんだよ。運動は推奨。私が治っていくのを喜んでいる)なんで布の靴がこんなに値段するんだよって思いながらも父の財布だし。あー。

どうせ買ってもらうなら、欲しいものが良かったけど、欲しいものもないし、そういうことになるんだ。あっはっは。

 

いやそうとう恵まれてるんだけどね。

そういうことを考えるのは、いまはやめよう。

大切にしよう、じゃなくて、運動しよう。

 

散歩から始めるにしても、歩きながら音楽を聞けないのが痛い。

携帯電話は、頭おかしかったときにぶっ壊したままだ。

これの修理はまだしたくない。拒否している。

携帯音楽プレイヤーも、死にたくなったときに身辺整理のつもりで売り払ってしまった。

馬鹿だよね。でも事実だ。

パソコン壊さなかっただけでも、他人を物理的に傷つけなかっただけでも、褒めてほしい。

 

つらつら書いてしまった。

こんだけ書けるなら、あとは時間の問題だろう。

明日は病院に電話して、必要なら薬を変えてもらう。

そんときに新品のスニーカー履いて歩いていく。

IT'S ALL. そんだけ。

 

SOU_UTSUですね、といわれた。

医者の言葉だから診断結果だろうか。

いまいちピンとこない。

 

病院に行くのは気が進まなかった。

そういう医者は、私がどこで生まれただとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、そういったデーヴィッド・カパーフィールド式のくだんないことを全部話さないと診断を下しちゃくんないと思ってたから。

 

でもその医者は、チャートの点数だけで私をSOU_UTSUだと断定してみせた。

私は抱えている不調を簡潔に述べるだけでよかった。

そういう病院じゃやけにニコニコした医者が「大変でしたね」「つらかったですね」なんて、生ぬるい言葉ばっかり話すのかと思ってた。

 

実際、以前数回通ったきりの別の病院じゃ、ワハハ式のおっさん医師が笑い飛ばしてくれた。

ノリのいい私はいっしょにワハハと笑い飛ばした。

そのあとは、睡眠薬を数日飲んだだけで諦めてしまった。失敗だ。

病院の予約もすっぽかしてそのまま。

 

その反省もふまえて、今回は別の病院に行った。

医者にもいろんなスタイルがあるって聞いてたし。

ワハハ式のおっさんが悪いわけではない。

むしろすっぽかした私が悪い。

 

新設の病院だった。

若い医者はデブでメガネ。ろくに表情筋も動かさずに話す。

この病院、すぐ潰れるんじゃないかな。

でも、私には良かったと思う。

 

なぜかよく分からないけど、同情されたくない。

優しくされたくない。気を引きたくない。

ほっといてほしい。私のことは忘れてほしい。

 

そういう気分のときは、淡々と事務的に処理してくれる方がありがたい。

カウンセリングがあるのかと思ったけど、薬を処方されただけでその日は終わった。

 

そしてこの薬がよく効いた。

消えたい、という強い観念から解放された。肩も軽い。

こんなすぐ楽になるなら、さっさと病院行けばよかった。

いや、薬なしでもやってけるようにならきゃいけないんだけど。

 

睡眠薬は初日には劇的だったけど、数日飲むと慣れてきたのかそれほどでもない。

でもとりあえず、毎日眠れている。

24時間という枠の中にいる。それだけで進歩。

 

脳みそも、ずいぶんクリアになった。

いつもの半分も動いてないような感じだったから。

あれはつらい。

 

食事を日に三度食べるのにはまだ慣れない。

いつからか空腹が苦痛じゃなくなっていた。

飢餓感を感じたら、そのときにたくさん食べる。

すると胃がもたれて、また飢餓感がくるまでほうっておく。

そういう生活が数年続いていた。

 

腹が減っていなくても、時間がきたら食べる生活。

そのためには、食べる量をセーブする必要がある。

つい朝食を食べ過ぎて、昼飯が入らない。

私の胃の容量は、自分が考えているより少ないんだろう。

 

外出して体を動かした方がいいというけれど、気が乗らない。

そもそも調子が悪くなったのは、この町に戻ってきてからだ。

ここには健全なものしかない。老後と子育ての町。

好きではない町で散歩する気にならない。

道端に吐かれたゲロまで愛おしかったあの古都に戻りたい。

 

何をして日中を耐えるかが問題だ。

夜にしか眠っちゃいけないんだから。

 

これまで愛していたライフワークに忌避感を覚えるようになってしまっている。

マンガ・アニメ・文学・ロックミュージック。

サブカルチャーSNS・旅・カラオケに飲み会。

映画も見れない。小難しいものばかり好きだった。

出かけたり、誰かと騒ぐのが好きだった。

 

いままでは全く興味のなかったヒップホップを聞いている。

ヒップホップトラックは同じ拍とメロディーを繰り返す。

そこにMCが歌詞を乗せる。

騒がしいダンスミュージックとしか思ってこなかったけど、その本質は心地よさだと気付いた。

 

自分が気持ちいいと感じるトラックに、気持ちいいと感じる声が乗っていればOK。

単純だ。そういうのがいい。だから人は踊るんだ。

 

abemaTVにはヒップホップチャンネルがある。

それを見ていたら、ほかのチャンネルも見るようになった。

 

最初はリアリティ番組のチャンネル。

セレブがしょうもないことで騒いでたり、男女が惚れた腫れたで大騒ぎしている。

自分から最も遠いカルチャー。戦争より遠い。

 

それにも飽きて、次はVICEチャンネル。

その段になって、日本語メディアを見るのがつらいのだと気付いた。

日本のバライティとかニュースとか怖気がする。

私は日本語に馴染んでいるから、言葉の裏側まで考えてしまう。

英語メディアなら、深く理解できないからかえって単純だ。

 

VICEの中の、マンチーズというシリーズが気に入った。

料理についてのシリーズだ。

その中には日本製と海外製の番組があって、海外製のがよかった。

それなら、海外動画サイトに直接アクセスして見ればいい。 

 

入れ墨バチバチの太ったシェフがピザだとか肉だとか料理してる。

字幕すらないから、内容はほとんど分からない。

肉を焼けば上手い。単純だ。

 

私の場合、日本の文化にずぶずぶだったから、それから目をそむけると自然矛先が海外に向いた。

逃避行だ。でも、その場にうずくまってるよりマシかも。

たぶん、いままでの人生の中で一番グローバル。