私の失踪癖
捜索願を出された経験はないんだけど。
『失踪癖』以外に、いい呼び方が思いつかないので、そう言っている。
私の失踪癖は、鬱のときに起こる。
「こんなクズがいたら、みんなに迷惑がかかる。消えたい」
という気持ちが高まると、誰とも連絡を取らずに消息を絶ってしまうのだ。
携帯には、友人や家族からの着信履歴がズラーッと並ぶことになる。
「自分を責める連絡がきている」
認知の歪んだ私にはそうとしか思えず、一人パニックになる。
実際は、みんな心配してくれてたんだろうけどね。
特に母親のがキツかった。
「大丈夫?」という言葉は、脅し文句のように聞こえた。
「(母親の)思い通りに動けてるよな?」というような。
実際、一人暮らししていたときに連絡を返さないでいたら、わざわざ遠方から凸してきたことがあった。
雨の降る暗い夜道を、慣れない高速道路を運転して。
もはや恐怖である。心配という名の恐喝だ。
一人暮らしをしていたときは、下宿という避難シェルターがあったからよかった。
そのうち元気になることは知っていたから(躁に自覚的だった)、それまで黙って布団の中で震えていればいいのである。
しかし、実家にいた子供時代は困った。
実家にも学校にも、私をほっといてくれる場所がなかった。
だから、高校生になるとアルバイトをした。
逃走資金の確保のためだ。
小遣いだと、逃げれる範囲は限られてくるし、絶たれる可能性がある。
心の底から安心できる、安定した資金源が必要だった。
(そのおかげで、バイト遍歴だけは鮮やかなもんである)
そして、「いってきます」と学校に行くフリをして、街を放浪するようになった。
(私服校だったので、世間様にはまったく怪しまれなかった)
先生からの着信を横目に、ネットカフェで母親に持たされた弁当を食った。
気が向いたら、午後から学校に行くこともあった。
夕方になるとバイト先に行き、夜まで働いた。
そのあとは、仕方なく家に帰った。
家に帰ることは義務だと考えていた。自分は未成年なのだから、と。
家に帰ると、母親が黙っている。
黙って、晩飯を出してくる。
「おいしい」と半ば礼儀として言葉にしながら、食べる。
母親は私が学校に行かなかったことを、先生からの連絡で知っているはずなのに、何も言わない。
そして自室に引きこもり、深夜までネット。
寝ないでいると、母親が「明日学校でしょ! 寝なさい!」と怒鳴りこんでくる。
そんな高校時代だった。
自分が悪いとばかり考えていた。
ちゃんとできない、自分が悪い。
けれど今、この歳になって思う。
私はまだまだ子供だった。大人の理解が必要だった。
精一杯だった。子供なりに、できることをしていた。
躁と鬱の波に殺されないように、本能的な回避行動をとっていた。
私は悪くない。
よく生きてここまできた。
だから、君も悪くないぞ。