ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

行き場のない感情がぐるぐる回る!

ジェットコースターでこそないけれど、コーヒーカップ程度には感情の浮き沈みがある。

 

家族が家にいると、元気でも元気でなくても平穏通りの対応を心がけてしまう癖が抜けない。精神を消耗する。慣れない。

伊達に長年、躁鬱無自覚に生きてきてない。

 

行き場のない感情、とは具体的にいうと下記の二点。

  • 「私はどうして生きていくのだろう」

 現状、生きる目的がわからない。行先不安だ。

 むろん、その手段も不明。

 

  • 「もしもあのとき私が躁鬱ではなかったら」

 Ifの話だ。

 受験期や就活期のことを思い出すと、ワーッと恐怖の叫び声をあげたくなる。

 もっとうまくいったはずなのに、人生のチャンスを無駄にした。

 

つまり、私の苦悩というのは、未来と過去の二点にある。

目の前を見ず、ここではないどこかへ思いを馳せてしまう。

 

じゃ、目の前見ようや、って話なんだけど。

目の前ってなに? 壁?

 

「わあ、この壁すごい! 床と垂直!」

 

現状には、目を背けたいものが多すぎる。

過去や未来へ思いを馳せるトリガーとなりうるものを、徹底的に視界から排除している。

 

よって、テレビ番組も見るものは慎重に選ぶし、ネットサーフィンなども必要最小限以外は控えている。

 

やだやだこんなんやだ。こんな風に生きるのやだ。やだやだやだやだ本当にいやだ。やだやだやだやだやだやだ……。

 

やだよう。つかれたよう。もうやめたいよう。

つらい。なにもしてないのにつらい。

 

弟に「暇ならバイトくらいしたら?」と言われた。

母に「最近絵は描いてるの?」と聞かれた。

 

暇なんだから、なにかすればいいと思われている。

つらいつらいつらい。なにかしたいのに、なにもできない。

かなしい。わからない。かなしい。

 

私がかわいそうだ。とってもかわいそうだ。