ファッキン躁鬱

双極性障害者の明るく楽しいハッピーライフ!

やっぱり家はいいな

ただいま。

 

合宿から帰ってきた。

ちゃんと夜に眠って、朝に起きることができた。

 

楽しかったけど、久しぶりのことで疲れもしたので、今日はずっとウトウトしていた。

まだまだ眠れそうだ。

 

二泊三日、家を離れてみて感じたのは「家に帰りたい」とか「やっぱり家はいいな」というような感情が生まれていること。

 

そういうホームシック的な感情を、今まで抱いたことがなかった。

どこでも実家よりはマシ。どこにいても同じだ、と考えていた。

 

私自身が、この実家を「家」だと感じることができるようになっている。

家のベッドが、どこよりも安らげる場所になっている。

 

幸せだと思う。

そして、今まで不幸せだったとも思う。

 

原因はやっぱり、母親との関係だった。

母親への不信感が、居心地の悪さにつながっていた。

この家にいると、いつもイライラした。

 

躁鬱の治療を始めて、本当にイライラすることがなくなった。

 

たとえ見識の違いがあっても、気にならなくなった。

冷静に、状況を見極めることができるようになった。

 

私にはたくさんのコンプレックスがあったけど、それも気にならなくなっている。

(たぶん、お薬が効いてるからこんな風に思えるんだけど)

(薬が切れたら、またコンプレックスの塊に戻るかと)

 

楽だ。

苦しむことが人生で、苦しみにより人は成長するんだと思って堪えてきたけど、そんなわけないな。

 

楽でいることが一番だ。

大丈夫よ、お薬があるわ。

多少の用事があった方がいい、とは言ったけど、ここ数日はすこし忙しかった。

 

久しぶりに立ち仕事をして、脚が痛い。

筋力が目に見えて落ちている。

早く来てくれ、犬。いっしょに散歩してくれ。

 

「眠れないのは、運動していないからだよ」なんて、昔はよく言われたけど、躁鬱マンは疲れているとかえって眠れなかったりするんじゃないだろうか。

 

 疲労→疲労を乗り越えるためにアドレナリンだばー!→寝れない。

 

昨夜はそんな感じで、なかなか寝付くことができなかった。

各種睡眠導入剤を飲んでおきながら、3時間も横になったまま起きていた。

 

そういうとき、つい落ち込む。

「いろいろ頑張ってるつもりなんやけどなー」

「なんで寝れへんのやろなー」

 

落ち込むと、考えが頭の中をぐるぐるしだす。

なので、そういうときに取るべき行動はひとつ。

 

頓服薬をブチこむ。

 

お薬がだいたいなんとかしてくれる。

お薬を信じろ。適量は守れ。医師の指示に従え。

 

 

今週末は友人の家で合宿だ。

DVDを見たり、みんなでダラダラと過ごす。

 

まだ本調子とはいえないだけに、団体行動は少し不安だ。

まあでも、友人たちもちゃんと理解してくれているし、疲れたときは正直に甘えることにしよう。

 

薬を持っていくのを忘れないこと。

これが肝要だ。

 

楽しみ。

私の失踪癖

捜索願を出された経験はないんだけど。

『失踪癖』以外に、いい呼び方が思いつかないので、そう言っている。

 

私の失踪癖は、鬱のときに起こる。

 

「こんなクズがいたら、みんなに迷惑がかかる。消えたい」

という気持ちが高まると、誰とも連絡を取らずに消息を絶ってしまうのだ。

 

携帯には、友人や家族からの着信履歴がズラーッと並ぶことになる。

「自分を責める連絡がきている」

認知の歪んだ私にはそうとしか思えず、一人パニックになる。

実際は、みんな心配してくれてたんだろうけどね。

 

特に母親のがキツかった。

「大丈夫?」という言葉は、脅し文句のように聞こえた。

「(母親の)思い通りに動けてるよな?」というような。

 

実際、一人暮らししていたときに連絡を返さないでいたら、わざわざ遠方から凸してきたことがあった。

 

雨の降る暗い夜道を、慣れない高速道路を運転して。

もはや恐怖である。心配という名の恐喝だ。

 

一人暮らしをしていたときは、下宿という避難シェルターがあったからよかった。

そのうち元気になることは知っていたから(躁に自覚的だった)、それまで黙って布団の中で震えていればいいのである。

 

しかし、実家にいた子供時代は困った。

実家にも学校にも、私をほっといてくれる場所がなかった。

 

だから、高校生になるとアルバイトをした。

逃走資金の確保のためだ。

 

小遣いだと、逃げれる範囲は限られてくるし、絶たれる可能性がある。

心の底から安心できる、安定した資金源が必要だった。

(そのおかげで、バイト遍歴だけは鮮やかなもんである)

 

そして、「いってきます」と学校に行くフリをして、街を放浪するようになった。

(私服校だったので、世間様にはまったく怪しまれなかった)

 

先生からの着信を横目に、ネットカフェで母親に持たされた弁当を食った。

気が向いたら、午後から学校に行くこともあった。

夕方になるとバイト先に行き、夜まで働いた。

 

そのあとは、仕方なく家に帰った。

家に帰ることは義務だと考えていた。自分は未成年なのだから、と。

 

家に帰ると、母親が黙っている。

黙って、晩飯を出してくる。

「おいしい」と半ば礼儀として言葉にしながら、食べる。

 

母親は私が学校に行かなかったことを、先生からの連絡で知っているはずなのに、何も言わない。

 

そして自室に引きこもり、深夜までネット。

寝ないでいると、母親が「明日学校でしょ! 寝なさい!」と怒鳴りこんでくる。

 

そんな高校時代だった。

 

自分が悪いとばかり考えていた。

ちゃんとできない、自分が悪い。

 

けれど今、この歳になって思う。

 

私はまだまだ子供だった。大人の理解が必要だった。

精一杯だった。子供なりに、できることをしていた。

 

躁と鬱の波に殺されないように、本能的な回避行動をとっていた。

 

私は悪くない。

よく生きてここまできた。

 

だから、君も悪くないぞ。

 

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メンヘラとかノンセクとかAセクとか

今日は友人の手伝いで軽いバイトをした。

ちょうどいい感じの疲労感。

 

話の流れで「私、ノンセクかもしんない」と言ったら「そうかもなあ」と軽く肯定してもらえたのが嬉しかった。

 

そもそも、私はいわゆる『メンヘラ』と言われる性質から遠い。

『メンヘラ』という用語の処方については諸説あるようだが、私はこちらの記事を参考にした。

dic.nicovideo.jp

 

つまり、メンタルヘルス(=精神病患者)という意味が、広大なインターネッツ世界で一人歩きして多義的模様を呈しているということらしい。

 

もっと簡単に言うと、『(特に恋愛絡みで)めんどくせーやつ』を総称して『メンヘラ』という、っつー理解。

 

んで、私は恋愛絡みで『めんどくせーやつ』になった経験がないのだ。

だって、恋愛経験皆無だもん。

 

友人は大切だが、極端に依存することはない。

自己表現が苦手なわけでもないし、全体的にサッパリしている。

と、思う。

 

むしろ、よっぽど(暫定的健常者としての)友人たちの方が『メンヘラ』っぽかったりする。

 

私は躁鬱だけど、『メンヘラ』ではない。

なぜなら、恋愛感情に疎いからだ。

 

そういう人種は世の中に一定数存在するらしい。

  • ノンセク→恋愛感情はあるけど、性的な欲求がない。
  • Aセク→恋愛感情がない。

(引用元:パンセクとAセクとノンセクの違いを教えてください、お願いします。 -... - Yahoo!知恵袋

 

 私「へえ…」

 

私自身は、こういう自己の性質をあまり問題に感じていない。

だって、恋愛に興味なくても生活に支障ない。

 

そういう人たちが集まるコミュニティもあるようだが、私には仲間と分かち合うべき苦悩がないのだ。

恋愛話の聞き役にまわる分にはストレスないし。

 

むりやり問題にするとすれば、「ノンセクか? Aセクか?」というラインだが。

 

……小学生のときは、字のきれいなK君が好きだった。

  転校して以来、会っていない。

 

……19歳のときは、ひねくれた浪人生のR君が好きだった。

  彼が大学進学してイキイキした途端、興味を失った。

 

思い出す限りで、この二点。

両者とも、告白とかお付き合いしたいとかそういう気持ちはなかった。

プラトニックとでも申しましょうか()。

 

相手を独占したいとも思わず、肉体的関係も望まず。

 

……これって恋だったよね!?

 

ノンセクっつーのは、この程度の思慕もしないのだろうか。

よくわからん。自分の気持ちが世間一般の『恋』だったのかも自信がない。

 

たとえ、この程度の乏しい経験を『恋愛』と仮定しても、私は「この人とセックスしたい!」と思ったことはないのだ。

 

少なくとも、Aセクではあると思う。

 

ここまで書いて、少し考えた。

そもそも、こういう事象について、あれこれ思考を巡らせるあたりが『メンヘラ』では……?

 

自己内省もほどほどに!

ハッピーでアッパーを目指して生きていきましょう!

健康的イキイキライフのために寝ます!

 

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行き場のない感情がぐるぐる回る!

ジェットコースターでこそないけれど、コーヒーカップ程度には感情の浮き沈みがある。

 

家族が家にいると、元気でも元気でなくても平穏通りの対応を心がけてしまう癖が抜けない。精神を消耗する。慣れない。

伊達に長年、躁鬱無自覚に生きてきてない。

 

行き場のない感情、とは具体的にいうと下記の二点。

  • 「私はどうして生きていくのだろう」

 現状、生きる目的がわからない。行先不安だ。

 むろん、その手段も不明。

 

  • 「もしもあのとき私が躁鬱ではなかったら」

 Ifの話だ。

 受験期や就活期のことを思い出すと、ワーッと恐怖の叫び声をあげたくなる。

 もっとうまくいったはずなのに、人生のチャンスを無駄にした。

 

つまり、私の苦悩というのは、未来と過去の二点にある。

目の前を見ず、ここではないどこかへ思いを馳せてしまう。

 

じゃ、目の前見ようや、って話なんだけど。

目の前ってなに? 壁?

 

「わあ、この壁すごい! 床と垂直!」

 

現状には、目を背けたいものが多すぎる。

過去や未来へ思いを馳せるトリガーとなりうるものを、徹底的に視界から排除している。

 

よって、テレビ番組も見るものは慎重に選ぶし、ネットサーフィンなども必要最小限以外は控えている。

 

やだやだこんなんやだ。こんな風に生きるのやだ。やだやだやだやだ本当にいやだ。やだやだやだやだやだやだ……。

 

やだよう。つかれたよう。もうやめたいよう。

つらい。なにもしてないのにつらい。

 

弟に「暇ならバイトくらいしたら?」と言われた。

母に「最近絵は描いてるの?」と聞かれた。

 

暇なんだから、なにかすればいいと思われている。

つらいつらいつらい。なにかしたいのに、なにもできない。

かなしい。わからない。かなしい。

 

私がかわいそうだ。とってもかわいそうだ。

 

犬を飼って生活習慣を整えてもらう計画

軽い用事のある日は、気が楽。

 

毎日毎日、なにをして時間をやり過ごせばいいのか、まだわからないでいる。

夜に眠るときも、「またつまらない明日が来る」という漠然とした恐れを感じてしまう。

 

そんなこんなでいるから、脳みその負担にならない程度の用事がある日は、少し安心する。

 

時間が、そんなに長く感じない。

気がまぎれる。

 

今朝はペットのウサギを動物病院に連れていった。

これから、整形外科にもいく。

 

犬を飼おうか、と家族と話している。

毎朝、私を散歩に連れ出してくれるような犬がほしい。

先住のウサギとも同居できる、性質が穏やかなやつ。

 

子犬だと、どんな性格に育つか分からない。

だから、落ち着いていた成犬を引き取るのがいいだろう。

 

動物病院の獣医さんに相談したら、知り合いの保護施設などをあたってくれるということだった。

 

獣医さん側としても、一匹でも多くの犬に行き場を見つけてやりたいみたいだ。

うちみたいなのは、大歓迎。

 

犬種も問わない……というか、むしろ雑種がいいなってくらいだし。

雑種は丈夫だから。純血種は、なんとなく繊細なイメージがある。

 

いい子が見つかると嬉しい。

 

責任持って飼えるのか?って話だけど、その点はあまり心配いらない。

私は、人間よりむしろ動物が好きなタイプだ。

 

うちは転勤族だったので、小動物ならまだしも犬猫は望んでも飼えなかった。

私が大人になってからは、賃貸で一人暮らしだったし。

 

父親が単身赴任となり、実家に住んでいる今こそだ。

子供のころの念願が、やっと叶うかもしれない。

 

少し前まで、私はこの実家を出たくてたまらなかった。

どうして帰ってきてしまったんだろう、と後悔し続けていた。

気ままな一人暮らしに戻りたくって、泣いたほどだった。

 

いつか必ず出ていこう、と。

 

でも治療を始めて、自分が『ここにいていい存在』だと気づいてからは、そうは考えなくなった。

もう失踪しなくてもいいのだ。

 

だから、犬を飼っても大丈夫だと思う。

親としても、私を近くに置いておきたいわけだし、犬がいてくれた方がいいと思う。

 

まあ。まだ来てくれる犬がいるかも分かんないんだけどね。

イッヌ(概念)である。

 

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障害者手帳を申請するか否か

私の場合、申請に必要な条件は満たしていると思われる。

それで、少しでも生きやすくなるならいいんじゃないか。

 

精神障害者手帳取得にあたっての一番のハードルは、『本人の抵抗感』らしい。

ぐぐった結果なので、この是非はおいといて。

 

私に抵抗感はない。

だって私すでにマジヤバーイ☆ 普通の人生望めナーイ☆

 

なので、両親に相談してみた。

 マッマ「あなたが望むなら……」

 パッパ「メリット・デメリットを比較しろ」

そういうことで調べた。

結果は「うーん?」という感じだ。

 

我が家は実に一般的な中流家庭なのだが、制度上はいろいろややこしいことになっている。

 

父が海外に赴任しており、住民票を移した関係で、世帯主が母になっているのだ。

そこに扶養家族として、私や兄弟が入っている。

母に一定の収入はない。

 

実は日本の法律だと、この条件で生活保護を受けられる。

海外にいる父から送金があるにも関わらず、だ。

制度ガバガバかよ。

むろん、我が家は生活保護を受けていない。

しかし、税金なんかは元々かなり軽減されている。(パッパがその国で払ってるからね)

 

と、いうことは、だ。

あまり手帳にメリットがないのだ。

 

せめて年金の支払いだけでも止められたら、少しは気が楽になるんじゃないか……?

と、思ったが、それも父は不要だという。

 

ちなみに、私の年金はどうしてか分からないけど父が支払っている。

私はそれを『物好きな人だなあ』と思っている。

 

 私「年金制度は滅ぶと思うし払わんでええで」

 父「けど相互扶助の制度やし怪我とか病気で動けなくなったときにもナンタラカンタラ」

 私「せやな。私の気が動転して飛び降りて死にきれず半身不随になるかもしれへんもんな」

 母「なにそれこわーい」

 

税金関係はそんな感じだし、残るメリットといえば

 ・映画、美術館利用料の割引 →そもそも出かける気力がない!

 ・携帯電話料金の割引 →ろくに携帯使ってない!

 

医療費控除もな……兄弟が病気の関係でもともと受けてるからな……。

 

手帳が必要になるとすれば、就職()するときだろうか。

うわあ、今はまだ考えたくない。

 

むしろ父にとっては、扶養家族に手帳持ちがいることによる各種保険の手続き変更が面倒、ということだった。

ぐう正論。

 

パッパは正論のひとだ。ちなマッマは感情のひと。

 

そんなわけで、いろいろ検討した結果、

『今の私にはまだ、手帳は必要ない』

っつーことがわかった。

無理して自立しようとしなくていいよ……パッパが養ってくれるんだし……。

(障害者なりに)自立しよう、と思うようになったときにはお世話になるかもしれない。

パッパが突然倒れて、金銭的に困窮するとかね……。

そういう場合に、頼るための制度だと思う。

 

と、いうわけで。

まだまだかじるぞ、親のすね。

 

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